マリア・カラスは自らがヒロインを歌うオペラの指揮者の選定にこだわった。彼女の才能を見出した恩人でオペラ界の重鎮トゥリオ・セラフィンと繰り返し共演したのは当然として、ヴィットリオ・グイ、オリヴィエーロ・デ・ファブリティース、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニら老練なオペラ専門の指揮者たちにも信頼を置いていた。だが、彼女は自分の歌唱にピタリ寄り添って舞台を破綻なくまとめる彼らの手堅い職人的手腕に満足していたわけではない。切れば血の出るように切実で胸をうつ表現をも、オペラ指揮者に求めていたからである。
そのことを最も端的に示す名高いエピソードがある。1953年12月、ミラノのスカラ座でケルビー二の《メデア》を初めて歌う際、予定されていた巨匠ヴィクトル・デ・サーバタがリハーサル直前に重病で指揮できなくなり、代役の指揮者を急いで捜さなければならなくなったとき、カラスはアメリカからやってきた未知の若手指揮者がローマのオーケストラに客演した演奏会をたまたまラジオで耳にして、「この若者には確かな才能がある。どうか彼をここに呼びよせて、《メデア》を振らせてちょうだい」とスカラ座の関係者に懇願した。この三十五歳の新進指揮者こそはレナード・バーンスタインだった。彼はこれまで劇場でオペラを指揮した経験が全くなく、ケルビーニのオペラなど一音たりとも知らなかったが、カラスの要請を受け容れて、五日間の猛勉強とリハーサルでこの危機を乗り切ったのである。
今日(12月2日)は不世出のソプラノ歌手マリア・カラス(Maria Callas)の百回目の誕生日だそうだ。ギリシャ系移民の娘としてニューヨークで生まれ、その本名をマリア・アンナ・セシリア・ソフィア・カロゲロプロス(Maria Anna Cecilia Sofia Kalogeropoulos/ Μαρία Άννα Καικιλία Σοφία Καλογεροπούλου)といった。
マリア・カラスの並外れた偉大さについては、無類のオペラ好きだった叔父から縷々説いて聞かされた。美貌のソプラノというに留まらない、イタリア・オペラ、とりわけ19世紀の技巧的なベルカント・オペラのヒロインに、生々しい女性の切実な息吹を吹き込んだ凄い存在なのだ、と。1960年代後半のこととて、すでにカラスは往時の声を失って引退同然だったから、LPに刻まれた音声記録から全盛期を想像するほかなかった。パゾリーニの映画《王女メディア》(1969)に「歌わないヒロイン」として姿を見せた主演女優を目にするにつけ、ああ、カラスの生の舞台が観られたらなあ、という望蜀の嘆を、叔父の口からいくたび聞かされたことだろう。
11月11日(土)に早稲田大学「桑野塾」でロシア絵本についてレクチャーを催すことになり、概要が決まりましたので、速報でお知らせします。小生が人前でこのテーマでお話しするのはたぶんこれが最後の機会となりそうです。どうか、万障お繰り合わせのうえお運びください。なお、聴講に事前の予約は不要。当日は自由にご参加ください。なお、対面レクチャーのみで、配信はありません。桑野塾 第77回
2023年11月11日(土) 午後3時~6時
早稲田大学戸山キャンパス33号館 231教室⇒ 戸山キャンパス地図 「大竹博吉・せい夫妻とナウカ社――すべてはここから始まった」
◉『大竹博吉、大竹せい 著作・翻訳目録』を刊行して/宮本立江
◉ロシア絵本をわが国にもたらした大竹夫妻 その情熱と使命感/沼辺信一
大竹博吉(1890–1958)と大竹せい(1891–1971)は1932年に神田神保町で「ナウカ社」の営業を開始、日本初のソ連からの輸入による書籍販売と出版活動に携わったほか、ともにジャーナリスト、文筆家・翻訳家として、多方面の活動を通じ、日露文化交流に大きな足跡を残しています。今回の「桑野塾」では、多年の調査を経てこのほど刊行された資料集『大竹博吉、大竹せい 著作・翻訳目録』の編者の一人である宮本氏が、大竹夫妻の仕事の多彩な広がりについて概説します。
後半では巡回展「幻のロシア絵本 1920–30年代」(2004~05)を構成・監修した沼辺氏が、戦前の日本にロシア絵本が浸透するうえで大竹夫妻が果たした決定的な役割について、原弘、柳瀬正夢、松山文雄らが秘蔵した絵本の調査を踏まえ、豊富な実例を挙げながら詳しく紹介します。
●宮本 立江(みやもと たちえ):
「桑野塾」世話人。1965年からナウカ株式会社に勤務、同社の季刊誌『窓』ほかの編集にも携わった。退職後はナウカ社の歴史を調査し、資料集『大竹博吉、大竹せい 著作・翻訳目録 附・関連文献一覧』(2023)を村野克明氏と編集、今年7月に刊行した。
●沼辺 信一(ぬまべ しんいち):
編集者・研究家。1952年生。ロシア絵本の世界的な伝播、日本人とバレエ・リュス、プロコフィエフの日本滞在など、越境する20世紀芸術史を探索。桑野塾登場はこれが七回目。
お知らせするのが少し遅くなってしまったが、小生が2022年3月26日に白百合女子大学で催したレクチャーを元に再構成した論考「光吉夏弥旧蔵のロシア絵本について」とその附録「光吉夏弥旧蔵ロシア絵本リスト」(『白百合女子大学児童文化研究センター研究論文集』26 [2023年3月刊行]所収)がこのほどネット上に公開され、全く同一の紙面構成のまま、いつでもどなたでも読むことが可能になった。下のリンク先からpdfファイルをダウンロードできる。併せてその要旨をご紹介しておく。ご興味をおもちの方はぜひご一読ください。
――1940年代から80年代まで、わが国の絵本・児童文学界を牽引した重要な翻訳家・研究者の光吉夏弥(1904~1989)は、ごく早い時期に1920・30年代のロシア絵本に注目し、数多くの実例を蒐集した。本論考では、白百合女子大学児童文化研究センターに残る光吉旧蔵ロシア絵本61点を紹介・分析するとともに、光吉が1943年に著した優れた論考「絵本の世界」におけるロシア絵本についての記述を参照し、彼が当時それらの絵本をどのように理解していたかを考察する。