かねてから刊行を待ち望んでいた書物が遂に出来上がった。『大竹博吉、大竹せい 著作・翻訳目録 附・関連文献一覧』がそれである。宮本立江さんと村野克明さんが数年がかりでこつこつ編纂に当たられていた。問い合わせに応じて、小生もいくつか情報を提供したこともあり、とうとう完成したかと感慨を禁じ得ない。
言うまでもなく、大竹博吉(1890~1958)と大竹せい(1891~1971)は「ナウカ社」の創立者とその妻であり、ロシア書籍の輸入・販売における先駆的な業績は隠れもない。ただし、夫妻にはともにジャーナリスト・文筆家・翻訳者としての貌もあり、若き日の博吉は東京日日新聞や東方通信社の記者・特派員として活躍した前歴をもち、ロシア文献の翻訳やソ連文化の紹介記事も少なくない。せい(せい子、清子とも)もまた女性新聞記者の草分けであり、博吉を援けて「ナウカ社」の経営に当たるほか、市川房枝らとともに婦人参政権運動にも尽力した。
1932年に設立された「ナウカ社」が当時のソ連における児童文化の隆盛に着目し、数多くのロシア絵本を輸入販売したことはよく知られていよう。大竹夫妻はその最大の功績者であるのは当然だが、博吉はロシア絵本の素晴らしさを讃えた文章をいくつか残しており、せいに至っては、1932年(ナウカの創設年)にマルシャーク作・レーベジェフ絵による絵本の翻訳まで手がけている。本書にはこの分野における大竹夫妻の仕事も、遺漏なく記述・収載されていて、小生のようなロシア絵本の研究者にとっても裨益するところがきわめて大きい。
本書の編著者であるお二人はともに大竹夫妻が設立した「ナウカ株式会社」に勤務され、時とともに埋もれていく創業者の業績を掘り起こし、書き残すことの必要性を痛感し、文献調査や資料発掘に長い歳月を捧げてこられた。その成果である本書は真の意味での「労作」であり、これから日露文化交流史を繙く者にとって必携の書となるのは疑いない。非売品ではあるが、ぜひとも座右に置くべき一冊だろう。
本書についての連絡先/
電話 03-5952-5267
ファクス 03-6915-2057
井上徹さんの余りに早すぎる死を悼み、彼の仕事の一端について十三年前の2010年6月5日に拙ブログで綴った日誌をそのまま再録する。
驚くべき映画に遭遇した。間違いなく今年のベスト・ワンになるだろうと断言できる。そればかりか十年に一本あるかなきかの傑作ではないか。
一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行
Полторы комнаты,
или Сентиментальное путешествие на родину
アンドレイ・フルジャノフスキー監督作品
Андрей Юрьевич Хржановский
2008
製作/アンドレイ・フルジャノフスキー、アルチョム・ワシーリエフ
脚本/ユーリー・アラーボフ、アンドレイ・フルジャノフスキー
撮影/ウラジーミル・ブルィリャコフ
出演/アリサ・フレインドリフ、セルゲイ・ユルスキー、
グリゴリー・ジチャトコフスキー ほか
東京・経堂の日ソ会館(という名称が今だに温存されている!)で「日本ユーラシア協会 新作ロシア映画上映会」があると井上徹さんからメールで教えていただいた。以下の口上を読むうち、ひょっとしてこれは必見ではないかと第六感が疼いたのだ。
(口上)
一部屋半――それが、少年と両親に割り当てられた住まいだった...。
1972年に西側への亡命を余儀なくされた詩人ヨシフ・ブロツキーの自伝的エッセイや絵を素材に、戦後レニングラード(現サンクトペテルブルグ)の文化絵巻が繰り広げられる。ノルシュテインと同世代のアニメ作家であるフルジャノフスキー監督が実写とアニメを組み合わせてつくったファンタジー。
ソ連当局から睨まれ強制労働ののち国外に追放されたヨシフ・ブロツキーは、アメリカの大学に職を得て英語で書く詩人として大成、ノーベル賞の栄誉を授かり米国桂冠詩人にも列せられた。その名声赫々たる詩人が遙か後年(おそらく現代に近い時代)「お忍びで」生まれ育った懐かしい街に帰郷を果たす。
フィンランド湾を横切る船旅の途上、ブロツキーの脳裏ではレニングラードに生まれ育った自らの生涯が、走馬灯のようにフラッシュバックされる。
1948年、中国戦線から生還した軍人の父が持ち帰った珍しい異国の品々(扇、キモノ、能面)。革命前の広壮な館を何十家族で分割し「一部屋半」の狭い空間で暮らした少年時代。親子三人と愛猫の一家水入らずの生活。ガールフレンドとの初体験の滑稽な思い出。ユダヤ人のブロツキー家は強制移住を覚悟し、家財のピアノを手放さざるを得なかったこと(オーケストラの楽器がレニングラード上空を悲しげに漂うマグリットばりの幻想が秀逸)。スターリンが急死した日の衝撃。フルシチョフの「雪解け」時代に謳歌した束の間の自由。若者たちは西側の銀幕スター(ツァラ・レアンダーとターザン!)に憧れ、X線フィルムで手製の海賊盤ディスクを拵えてジャズとロックンロールに熱狂する。そしてお決まりの密告と、それに続く冷酷な思想裁判...。
さり気なく挿入される音楽がどれもいい。ショスタコーヴィチ(第二チェロ協奏曲の断片、ジャズ組曲の「ワルツ」、そして《タヒチ・トロット》!)、シュニトケ(第八交響曲の断片、合奏協奏曲のどれか)、バッハ(ブランデンブルク協奏曲第二番)、ヴィヴァルディ(マンドリン協奏曲)、そしてとりわけマーラー(楽器が列をなして飛び去る場面での第一交響曲の「葬送行進曲」!)と《黒い瞳 Очи чёрные》...。
フルジャノフスキーは高名なアニメ作家だが、この《一部屋半》は初のフィーチャー・フィルムとして撮られており、基本的には劇映画の枠組を崩さない。
つまりそこでは役者の存在がなにより肝腎なのだが、ブロツキーの両親を演じる老優ふたり(Алиса Фрейндлих と Сергей Юрский)の演技はまことに秀逸だ。酷い時代をひっそり飄々と、息子への愛情と日常的ユーモアを欠かさず健気に生きる姿を見事に体現している。まるでチェーホフ劇の登場人物のように。
そこここで不意に出没するアニメ描写は流石に心得たもので、奏功するところ大。とりわけ象徴的な存在として登場する猫と二羽の鴉の面白さといったら! ブロツキー自筆の落書きとおぼしきデッサンが動き出す場面もある。これらアニメーション描写と純然たるドラマ部分、過去と現在の都市風景、さらには随所で流れるブロツキー詩の朗読、巧みに挿入される音楽の断片、これらすべてが精妙に絡み合い、響き合いながら重層し、ブレンドされて筆舌に尽くせぬ複雑な味わいを醸す。
この前代未聞のアマルガムについて、ロシアの指揮者ウラジーミル・ユロフスキーは「これこそ総合芸術 Gesamtkunstwerk だ」と評したそうだが、小生もその言葉に全面的に賛同したい。
私事になるがレニングラードこそは1988年に初めて目にした外国都市としていつまでも忘れがたい。そのときの印象は期せずしてブロツキーの評言と全く同じだった、すなわち、これこそは「地上で最も美しい都市」だ、と。
この映画でもペテルブルグの市街風景が繰り返し映し出される。ネヴァ川とその河岸に並ぶ冬宮殿、海軍省、クンストカメラ、商品取引所と二本の灯台柱、ファルコネ作「青銅の騎士」像、「夏の庭園」、ネフスキー大通り、運河とそこに架かる瀟洒な橋々…。まるで時が歩みを止めたかのような静謐な佇まいがどこまでも続く。
スクリーンに映し出されるレニングラード=ペテルブルグの美しさはまた格別だ。夢のなかの光景といっても過言でない。遠く故郷を懐かしむ詩人のノスタルジーに浸された故か、まるで末期の眼で眺めたかの如きこの世ならぬ妖しい煌めきを放つ。
だが待てよ、実際のブロツキーは亡命してから遂に一度も帰国しなかったはずだぞ、と途中でふと気づくところから、この映画の卓越ぶりがじわじわ実感されてくる。
そうなのだ、ここに登場するブロツキーはもはやこの世の人ではない。二度と故郷の街を見ることの叶わなかった亡命詩人の見果てぬ望郷の夢が遂には死後の魂と化し、亡霊の姿となってペテルブルグに帰還し彷徨するという痛切な物語なのである。帰宅した彼が古びた部屋で両親と再会を果たしたとき、父だったか母だったかが、「お前はもう死んでいるんだろう」と事もなげに息子に問いかける場面がその証しなのだ。Cum mortuis in lingua mortua.
この秀逸にして豊穣な映画については語り尽くすことが到底できない。いずれ正式公開が叶って大スクリーンで再見した折りに、もう一度このフィルムを心ゆくまで論じてみたいと希っている。
今日の上映に際しては、井上徹さんが徹夜で必死に日本語字幕付けにあたられたが、それでも全篇が仕上がらず、後半の映像が届かぬまま上映が中断されるという椿事が発生したが、半時間ほど待つうちDVD素材をもった井上さんが会場に駆けつけて事なきを得た。
とにかく観られてよかった。こんな凄い映画、滅多にない。
あれは20世紀もいよいよ押し詰まった2000年11月のことだった。恵比寿の東京都写真美術館ホールで「ロシア・アニメ映画祭2000」という催しがあり、黎明期のソ連アニメーション作品が一挙上映された。そのなかにミハイル・ツェハノフスキー監督作品の《郵便》(1929)と《おろかな子ネズミ》(1940)の二本が含まれているのを知った小生は狂喜乱舞したのである。
ツェハノフスキーはマルシャークに見出された絵本画家である。稀代の傑作絵本『郵便』(1927)を共作したのちアニメ作家に転身し、ショスタコーヴィチと組んで《司祭とその下男バルダの物語》(1934~35)に取りかかったところで当局から中止を命じられた(ショスタコーヴィチの音楽は完成しており、驚くほど魅力的なのだ)。その後、「荒唐無稽」批判後のショスタコーヴィチと再び協働し、マルシャーク原作によるカラー・アニメ《おろかな子ネズミ》を完成させた。そういう人物の作品が日本初公開される。しかも絵本と同じ題材による《郵便》(無声)と、ショスタコーヴィチ音楽による《おろかな子ネズミ》とだ。昂奮せずにいられようか。
《郵便》は創意工夫に満ちた、想像を絶するフィルムだった。一通の書留郵便がどこまでも宛て先を追っていき、世界各地の郵便屋さんがてくてく歩いて届けようとする、というストーリー(マルシャーク作)に、ツェハノフスキーがスタイリッシュな挿絵を描いた傑作絵本は、小生もかねてから愛蔵している。上映されるアニメはこの絵本を元に、同じアーティストが物語もキャラクターもそのまま、まるごと映像化したもの。これが日本初上映だという。
その素晴らしさに息を呑んだ。心底たじろいだ。絵が動くというのは凄いことだ! 素朴な「切り絵アニメ」ながら、ダイナミックな運動感、スピード表現は比類がないし、 なによりも絵がアヴァンギャルドな魅力に溢れている。無声映画ならではの字幕の入れ方もリズミカルで、間然とするところなく絶妙である。
上映後、小生はうちのめされ、しばらく椅子にへたり込んでしまった。立ち上がると夢うつつ状態のまま、たまたま会場におられた山田和夫さんに話しかけたのだと思う。それまで一面識もなかったし、どれほど高名な方かも知らず、ただ単に「主催者側の偉そうなヒト」と目星をつけたのだ。
《郵便》の上映プリントに附された日本語字幕がたいそう素晴しかったものだから、「字幕の台本を頒けてもらえないか」という、いかにも虫のいいお願いだったのである。ロシア絵本に並々ならぬ関心を抱く者として、マルシャークの原作絵本と比較してみたかったのだ。すると山田さんは嫌な顔ひとつされず、即座にこうおっしゃった。「ああ、その翻訳字幕をつくった本人が今日ここに来ているから、彼に頼むといい」。
その場で紹介された井上徹さんもまた気さくに対応され、「いいですよ、字幕台本をお送りしましょう」と応じて下さった。彼こそはロシア映画の研究者・翻訳者として、この分野の生き字引と称すべき碩学だったのである。後日、井上さんからは懇切な手紙とともに、映画《郵便》の翻訳台本の全テキストが届けられた。スクリーンで目にしたのと同じ、高邁な調子の凛とした日本語字幕であった。
それから三年ほど経って、全く思いも寄らぬ成り行きから芦屋に残る吉原治良旧蔵コレクションと架蔵絵本を組み合わせて戦前のロシア絵本の展覧会を開催することになったとき、その関連企画として真っ先に思いついたのは「ツェハノフスキー三本立て」アニメ上映の開催だった。上記の二本と、《バザール》(未完に終わった《司祭とその下男バルダの物語》の断片)を組み合わせる企てだ。早速その趣旨を井上さんに申し述べると、「可能だと思う。三本ともプリントは今も日本にあるはずだから」との好感触の即答が返ってきた。
そのあとすぐ井上さん立ち会いのもとで山田和夫さんにお願いに赴いたのだと思う。場所は新宿東口の喫茶店「談話室滝沢」だったように記憶する。さすがに今度はひどく緊張した。もう山田さんが映画批評界でどんなに偉い重鎮なのか小生も承知していたし、なんといっても展覧会企画の成否がかかっていたからだ。
言葉を尽くして展覧会の趣旨と、ツェハノフスキーのアニメ上映の必要性をアピールした。絵本『郵便』のカラー・コピーも持参したと思う。何しろ必死だったのでよく憶えていないが、山田さんはほどなく頷くと「協力しましょう」と言ってくださった。
そこから先はトントン拍子だった。日本でこれしか存在しないという貴重な35ミリ・フィルムを借り出し、芦屋市立美術博物館と東京都庭園美術館とで、展覧会の開催に合わせて一度ずつ上映会を催した。しかも図々しいことに、芦屋では井上さん、東京では山田さんをそれぞれゲストに、上映前に小生との対談までお願いした。今にして思うと汗顔の至りだが、当時は無我夢中だったのだ。
それだけではない。井上さんは親切にも、ご自身のホームページで「幻のロシア絵本」展のことを大々的に取り上げ、その意義を縷々力説して下さったのである。このご恩は決して忘れることができない。
以上は十数年前に拙ブログで書いた拙文からの抜粋である。ここに記したように、二十三年前に出逢った井上徹さんはわが大恩人のひとりであり、その後も彼が主宰する「エイゼンシュテイン・シネクラブ」の例会で、多くのロシア映画上映を通してわが蒙を啓いてくれた。その余人をもって代えがたい井上さんが6月12日に急逝された。享年五十八はいくらなんでも早すぎる。
2023年5月25日。細野晴臣の最初のアルバム《Hosono House》が1973年5月25日に世に出てからきっかり五十年になる。この特別な一枚を半世紀の長きにわたって愛聴してきた――そう思うだけで深い感慨を禁じ得ない。今日がそういう節目の日であると実は朝から気づいていたのだが、このアルバムはやはり夜更けてから一人で静かに耳を傾けたい。そして小声で歌詞を口ずさむがいい。ここがどこなのか、どうでもいいことさ、どうやって来たのか、忘れられるかな――と。