きっかり百年前の1925(大正十四)年11月1日、東京の帝國ホテル演藝場で催されたフランスのピアノ奏者アンリ・ジル=マルシェックス Henri Gil-Marchex による連続演奏会(全六回)最終夜で、モーリス・ラヴェルの独奏曲《五時 フォックストロット》が世界初演された。
連続演奏会のプログラム冊子から、この日の演目を書き写しておく。
アントアン フランシスク
《オルフエの寶物 古代佛蘭西舞踊組曲》
シューマン
《謝肉祭》
ウエーベル
《ワルツへの招待》
ショパン
《二つのマズルカ》レ ミヌール/レ マジユール
《三つのワルツ》
ラ ミヌール/ウイツト デイエズ ミヌール/レ ベモル マジユール
《グランド ポロネーズ ラ ベモル マジユール》
三つのスペイン舞踊
マニユエル デ フアリア
《水車屋の踊り》
アルベニ
《棕梠樹の下》
《セグイデラ》
クロード デビュッシー
《ゴリウオグのケイク ウオーク》
ダリアス ミルホー
《ソオダード デュ ブレジル》
ストラビンスキー
《ピアノ ラッグ ミューヂック》
モーリス ラベル
《五時 フオッスク トロット》
アンリー ヂル マルシエックスは一九二五年十一月一日於東京モーリス ラベルの FIVE O'CLOCK, FOX TROT の初演奏をなしたり
FIVE O'CLOCK
FOX-TROT
PAR
MAURICE RAVEL
○五時【フアイブ オクロツク】 フッオクス トロット
世界に於ける初演奏 モーリス ラベル
プログラム冊子のどこにもそう明記されないが、このモーリス・ラヴェル作曲《五時 フォックストロット》は、彼の二作目の歌劇《子供と魔法》のなかで中国製の茶碗と英国ウェッジウッド製のティーポットが歌い踊る珍妙な二重唱のことで、当夜ここで奏されたのは奏者ジル=マルシェックスの手でピアノ独奏用に編曲された幻想曲 "Five o'clock fox trot, Fantaisie pour piano deux mains" だったろうと推察される。
ラヴェルのオペラは1925年3月21日にモンテカルロ歌劇場で世界初演されたばかりであり、ピアノ版《五時 フォックストロット》が初演された同年秋の時点では、パリ初演もなされていなかった。東京の聴衆がパリジャンに先んじて、一部分とはいえラヴェルの最新作に接していたわけだ。ジル=マルシェックスを日本に招聘し、かかる劃期的な演奏会を実現させた勧進元の薩摩治郎八の並外れた意欲と実行力に感嘆するほかない。
「盤鬼」こと平林直哉氏から新著をご恵贈いただいた。実は今月初めには届いていたのだが、発行日を待ってからレヴューしようと愚図愚図しているうち、ご紹介が遅くなってしまったものだ。
平林直哉
必聴! ヴァイオリニスト30 魅惑の音色を発掘する 靑弓社
2025年10月15日刊
本書には帯は掛かっておらず、その代わりにカヴァー袖の惹句にこうある。――「海外の音源に詳しい著者が、数々のSPやLPのなかからCD化されていない魅惑的な演奏を厳選して紹介する。長年を費やして集めた楽曲を聴き込んで魅力を語り、貴重な図版も多数所収するクラシックファン垂涎の力作!」
なるほど、まさしくそのとおりの著作である。標題にあるように往年のヴァイオリン奏者が三十名ずらりと並び、音盤に刻まれた至芸が一人ずつ懇切丁寧に紹介されていく。ただし、その顔触れがいささか意表を突いている。
アーサー・カテラル、ジョン・ダン、アルド・フェラレージ、ジャン・フルニエ、ステファン・ルーハ、ストイカ・ミラノヴァ。冒頭の数名を挙げるだけで、「誰それ?」となる。ハイフェッツもシゲティもオイストラフも出てこない。むしろ、実力のわりに活躍が地味だった、あるいは残された録音が少なかった、など諸般の事情から、忘却の淵に沈みかけた奏者ばかり三十人が採り上げられている。
平林氏といえばフルトヴェングラー、ワルター、ムラヴィンスキーら往時の大指揮者の指揮芸術を語らせたら右に並ぶ者がいない論客で、自らの独立レーベル「グランドスラム」で独自の覆刻CDを数多く送り出してきた。その彼の新著がヴァイオリニストについての紹介本と知り、少しばかり意外の念を抱いたものだが、彼はもともと学生オーケストラでヴァイオリンを弾いていた人であり(今またレッスンを再開したそうな)、自らのレーベルからジョコンダ・デ・ヴィート、ヨハンナ・マルツィ、ジャニーヌ・アンドラード、ミシェル・オークレールら閨秀ヴァイオリン奏者の覆刻CDも手がけられていたのである。
平林氏の筆致は平易で親しみやすいものだから、名前すら知らない往時のヴァイオリニストたちがひどく身近な存在に思えてくる。演奏の特色についても、巧みな修辞で丁寧に紹介されると、まるで行間から音が聴こえてきそうなほどだ。奏者たちのエピソードの開陳が巧みなので、興趣がどんどん湧いてくる。なんとしても稀少な音源を手に入れて、彼女や彼の録音を実際に聴いてみたくなる。
氏のヴァイオリン演奏に対する嗜好性は些か古風で回顧的なものだ。ご自身もそれを自覚されており、「はじめに」のなかで「ヴァイオリンとは、甘ったるくて妖しく、しなだれかかるような雰囲気をもち、ときにはお涙頂戴的にすすり泣く楽器である」と明言され、古楽器奏者たちの「ピリオド奏法」への疑念と嫌悪を隠さない。
必ずしも同意できない見解だが、それでも本書を読んでいると、往時の未知のヴァイオリニストたちの至芸に触れてみたくて、居ても立ってもいられなくなるのは、著者が抱く愛着が心の裡から滲み出た真実の共感にほかならず、強い伝播力を伴うからだろう。
本書に採り上げられた三十名の奏者は皆それぞれに個性的で「聴いてみたくなる」存在に思えるが、小生はとりわけ十三番目に登場するシュテフィ・ゲイエル (Stefi Geyer) というハンガリー出身の閨秀ヴァイオリニストに惹かれた。なにしろべーラ・バルトークとオトマール・シェックという二人の作曲家が若き日に夢中になり、それぞれ協奏曲を捧げたというのである! わずかながら現存するという彼女の音源(シェック作品の実況録音もある!)をなんとしても聴いてみたいものだ。
昨日たまたま立ち寄った愛知芸術文化センター地下二階の期間限定店 "TEMPORA" で見つけた面白い一冊。しかも千二百円という安価だ。
いかに戦争は描かれたか
編/村田 真
BankART1929
2017
2015年1月から3月にかけて横浜のBankARTスクールで開講された八回の連続講座「戦争と美術」をここの校長の村田真が一冊にまとめたもの。わが国における戦争画とそれに類するジャンルを採り上げ、錚々たる面々が縦横に語り尽くした内容だ。これが面白くないわけがなかろう。竹橋の美術館が米国政府から無期限貸与された「戦争記録画」とは一体何か、とりわけ藤田嗣治の仕事の意味するもの、明治期の多様な戦争表象(錦絵、新聞挿絵、パノラマ、銅像、記念碑)。名古屋から東京まで新幹線各駅停車の道中、時の経つのも忘れ読み耽った。
朝六時に家を出て名古屋を目指す。週末の新幹線は大阪までが激混みと聞かされたので、あえて「のぞみ」を避け「ひかり」の自由席を確保。それでも途中の浜松からの乗客の多くは立ち乗りとなった。
演奏会は午後なのだが、折角の遠征なので九時に現地入り。そのまま地下鉄の東山線に乗り換えて栄町へ。地下街の喫茶店「コンパル」で海老フライサンドと珈琲の朝食。ああ名古屋に来たのだと実感する。
十時きっかりに愛知芸術文化センター十階へ。ここ愛知県美術館ほかで開催中の国際芸術祭「あいち2025」(「あいちトリエンナーレ」)をちょっと覗いてみる。「灰と薔薇のあいまに」というテーマが掲げられ、「人間と環境とを分断する国家や領土といった視点を越えて、地質学的な時間軸から見える未来の展望を提示」する(芸術監督フール・アル・カシミ)とのことだが、未知の作家が大半を占める展示を呆然と眺めながら、美術館の十階と八階のすべての展示室を一時間半ほどかけて一巡。しかしながら胸に響く作品には出逢えなかった。もっと根気強く時間をかけ、他の展示会場にも足を運べば違ったのかもしれないが、老書生にはこれがもう限界。
芸術文化センターを地下二階まで降りて、期間限定のミュージアム・ショップで、帰りの車中で読むのにふさわしい美術書がないか物色。横浜のBankART1929でやった連続レクチャー『いかに戦争は描かれたか』(2017)を見つけてレジへ。さすがに疲労を覚えたので、この建物に隣接する広場「オアシス21」のカフェで喉を潤す。
そろそろ正午という頃合に再び地下鉄の東山線を使って、七つ目の中村公園駅まで移動。大鳥居のある豊国神社参道を公園方向へと歩くうち俄かに空腹を覚えたので、老夫婦がひっそり営む和食屋「かみ谷」で昼食。刺身と豚汁の古典的定食をいただく。安価でしかも旨い。
午後一時前、心配していた雨にも降られずに目指す中村公園に到着。この一帯は豊臣秀吉の生誕地とされ、敷地には豊国神社も建つが、今日の訪問の目的地はそこではなく、園内にある「中村文化小劇場ホール」で愛知音楽研究会が催すレクチャーコンサート&シンポジウム「日本と音楽 中部地方から考える」を聴講することにある。
一時半から六時半まで、五時間に及ぶ長丁場の催しであり、三つのレクチャーコンサートと二つのシンポジウムからなる大がかりで盛り沢山のイヴェントなので、委細をここに記すのはとても不可能だが、どれもがよく練り上げられ、傾聴に値する研究発表だったとのみ記しておこう。どんなにニッチな地域限定の事象でも、とことん調べると普遍的な問題に行きつく。これこそが歴史探索の醍醐味なのだ。
多彩なプログラムの白眉は、ちょうど中盤あたりで聴けた以下のレクチャーコンサートだ。はるばる訪れた目的もそこにある。
レクチャーコンサート②(15:55~16:25)
白石朝子
「遥かなる日本へのまなざし:ジル=マルシェックス初来日100周年・ラヴェル生誕150周年」
演奏/白石朝子(ピアノ)、土屋裕子(ピアノ)
曲目/
ラヴェル:《マ・メール・ロワ》より(連弾)
■ 眠りの森の美女のパヴァーヌ
■ おやゆび小僧
■ パゴダの女王レドロネット
ラヴェル(リュシアン・ガルバン編/連弾):
《子どもと魔法》より
■ 雨蛙の踊り、蜻蛉と蛾の踊り
■ 五時のフォックス・トロット
ラヴェル(アンリ・ジル=マルシェックス編):
《五時のフォックス・トロット 二手のための幻想曲》
このプログラムはラヴェル愛好家には垂涎の的だろう。なにしろ歌劇《子供と魔法》にまつわるピアノ編曲(いずれもラヴェル公認版)がまとめて聴ける。しかもジル=マルシェックス編曲版は1925年の初来日時に東京で世界初演(!)されたという代物。この時点でオペラそのものはまだパリ初演されていなかったのだから驚きである。それにしてもこの《幻想曲》は見るからに聴くからに演奏至難な編曲だ。ラヴェルの原曲にはないヴィルトゥオーゾ的な装飾音型が複雑に絡み合う。白石さんは堅実な技術で難所を切り抜けて天晴れ。
白石さんはフランスのピアニストで最新のヨーロッパ音楽をわが国に伝えたアンリ・ジル=マルシェックス(Henri Gil-Marchex)を研究され、その浩瀚な論考で博士号を得た。このピアニストが日仏双方で成し遂げた文化貢献について、その後も地道な探索を続けられている。今回のレクチャーでも、1925年にジル=マルシェックスが東京からラヴェルに宛て送付したクリスマス・カード(フランス国立図書館蔵)がさりげなく初紹介されていて驚かされた(二つ目の画像がそれ)。
全プログラムが終了すると午後六時半を回っていた。白石女史にご挨拶すると、そそくさ退出。暗くなった参道を地下鉄駅まで戻り、東山線で名古屋駅に。新幹線はひどい混雑が予想されるので自由席の多い「こだま」に乗車。東京まで二時間四十分かかるが、なあに急ぐ旅ではない。駅弁の味噌カツ&海老天を頬張り、美術館で買った『いかに戦争は描かれたか』を読んだので退屈知らず。夜更けて十一時帰宅。