アーサー・ランソム著
支那の謎
譯者兼發行者 榎 米吉
發行所 時事新報通信部/青島魚山路六號
發賣元 支那問題攻究會/青島魚山路六號 舊山東經濟時報社内
昭和三年十一月廿七日發行こういう書物が世に実在する事実を知ったのは、かれこれ四十年ほども昔のことだ。神宮輝夫さんが訳された『アーサー・ランサム自伝』(白水社、1984)の「訳者あとがき」に、「ランサム・サガ」以外の著作を解説つきで十七冊も列挙したなかに、詳しく紹介されていた。(17)
『中国のなぞ』The Chinese Puzzle 1927・・・
内容は本文で説明されているので、余分なことをのべる必要はありませんが、この本は一九二八年に日本語訳が出ています。訳者は青島の時事新報特派員、榎米吉という人で、発売元は支那問題攻究会。タイトルは『支那の謎』となっていました。〈小引〉のニ、に「『現代支那』を理解せんとするにはどうしてもロシア—―特に露支関係を究めねばならない。此の意味に於て現大阪毎日新聞北京特派員布施勝治君の『レーニンのロシアと孫文の支那』は権威ある著述である。本書の原著者ランサム君もまた、布施君と同じ時に特派員としてモスクヴァ(而も同じホテル)にあった人で、ロシアに就て深い知識を有っている。」(漢字とかなづかい、改めてあります)とあり、ランサムを知る手がかりはいろいろなところにあることがわかります。さすが神宮教授はアーサー・ランサムの仕事をとことん調査されているなあ、ジャーナリスト時代の著作にも目を配り、こんな稀覯本の訳書までお持ちなのだ、と感服していると、その少し先にこうあった。『支那の謎』は故瀬田貞二氏が古本市でみつけて、わたしにくださったものです。漢口の竜のおどりのくだりをひらいて、読んでごらんといわれたときのことを今もよくおぼえています。発見の真の功績者は瀬田貞二さんだった。さすがというほかない。❖
捜し求めて幾星霜、『支那の謎』を手にする僥倖はもう巡ってこないものと諦めていた矢先、たまたま「日本の古本屋」で検索をかけたところ、金沢市の古書肆が出品していた一冊が噓みたいにあっさり見つかった。稀少性に見合った、いささか高価な値付けだったけれど、この機会を逃すべからず、迷うことなく註文し、今しがた届けられた。
本来はカヴァーか帯が附属して、それが失われた可能性もあるが、少なくとも現状では地味で目立たない外観である。こんな書物に飛びつくのは、ごく少数のランサマイト(Ransomites)、すなわち熱烈なるランサム愛読者だけだろう。少数もその驥尾に附した一人なのだが。
2025年5月15日(木)
18時~
東京・日比谷、シアタークリエ
◇
陽気な幽霊
訳/早船歌江子
演出/熊林弘高
美術/二村周作
衣裳/原 まさみ
◇
チャールズ・コンドマイン:田中 圭
エルビラ(チャールズの亡妻):若村麻由美
ルース(チャールズの妻):門脇 麦
エディス(家政婦):天野はな
ブラッドマン博士(医師):佐藤B作
ブラッドマン夫人:あめくみちこ
アーカティ夫人(霊媒師):高畑淳子
久しぶりのノエル・カワード。チケットはとうに完売だそうだが、芝居通の妹の手を借りてめでたく入手。家人ともども観劇が叶った。まずは東宝のページから粗筋を書き写す。
舞台は1941年、イギリス・ケント州にある小説家チャールズ・コンドマインの自宅の居間。チャールズは再婚した妻ルースと暮らしている。新しく雇ったメイドのエディスが不慣れで準備がままならないが、チャールズは小説の取材をしようと霊媒師アーカティ夫人を呼んで、かかりつけの医師ブラッドマンとその夫人を招待し、降霊会を催した。
霊は現れず、アーカティ夫人はイカサマだという結果に終わったが、客が帰った後、七年前に亡くなったチャールズの先妻エルビラが幽霊となり姿を現す。しかしエルビラの姿はチャールズにしか見えず、ルースはチャールズが酔っていると思いこみ、一方でチャールズは先妻がいると言い張る。
エルビラはチャールズとルースの間に色々とちょっかいを出し、それは徐々にエスカレートして夫婦の間に諍いが生じ、やがてとんでもない結果を招いてしまう――。
思い返せば《陽気な幽霊》は小生が生まれて初めて観たカワード劇であり(1993年、銀座セゾン劇場)、そのとき台詞の応酬から浮かび上がる人間関係の面白さやそこに紡がれる人生の機微を垣間見て、ウェルメイド・プレイの魅力にすっかり心を奪われてしまった。
爾来、東京でもロンドンでもさまざまなカワード作品に接してきたが、なぜか《陽気な幽霊》だけは再見の機会に恵まれず、今回が実に三十二年ぶりの観劇になる。それだけに期待は大きかったわけだが、結果はといえば苦い失望に終わった。
どこがどう悪かったかをここで記すのも悲しいが、なにより主役のチャールズとルースが若く未熟すぎて、バツイチ同士のわけあり夫婦に見えないのが致命的。前回の舞台で夫妻を演じた杉浦直樹と夏木マリに較べるのは酷かもしれないが、今回の舞台での上滑りする台詞と表層的な芝居には鼻白むばかり。こんなカワード劇、ありか?
居心地の悪い夫婦の演技とは対照的に、役をそれらしく生きていたのは先妻エルビラの亡霊に扮した若村麻由美。茶番に終わった交霊会のあと、思いがけず彼女が出現すると、途端に舞台が活気づき、物語が動き出すのがわかる。前回は黒木瞳が演じていて、この役は必ずしも年長の女性とは限らない(七年前に死んだ前妻はそのまま歳を取らない)はずだが、このたびは妖艶で華やいだ年増女といった役どころ。これを愉しんで余裕綽々に演じていた。とはいえ、ここが彼女の一人舞台に見えてしまうのも、会話が紡ぐ緊密なアンサンブルというカワード劇の要諦から外れている証でもあり、演出家の手綱の緩さが垣間見られよう。
まあ、そんな次第だから、今回のプロダクションは人気役者を集めて興行的には大成功だろうが、日本語で演じられたカワード劇の系譜のなかでは決して褒められた出来だったとは言い難い。客席には出演者の熱心なファンも多く、それなりに湧いていたが、小生も家人も釈然としない思いを抱えながらの観劇と相成った。
久しぶりのシアタークリエ(以前ここでカワードの《私生活》も観た記憶がある)は日比谷劇場街の一郭を占める中劇場だが、21世紀にできたとは思えぬ手狭な古めかしい空間であり、客席でリラックスできない。休憩時の女子トイレのひどい混雑ぶりに家人が辟易していた。