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  <title>私たちは20世紀に生まれた</title>
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  <modified>2026-02-22T00:58:26+09:00</modified>
  <author><name>s_numabe</name></author>
  <tabline>千葉海浜日記</tabline>
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    <title>稲垣吾郎のノエル・カワード劇に拍手喝采</title>
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    <issued>2026-02-19T17:57:00+09:00</issued>
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    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>舞台</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[とてもチケットが取れそうにない――そこを何とかと無理を承知の上で妹に頼み込み、凄まじい争奪戦を経てどうにか手にしたチケットはなんと七列目ど真ん中の特等席。そこに妹と小生と家人が陣取った。<br />
<br />
2026年2月19日（木）<br />
12時～（マチネー公演）<br />
東京・渋谷、PARCO劇場<br />
<br />
《プレゼント・ラフター》<br />
作／ノエル・カワード<br />
訳／徐 賀世子<br />
演出／小山ゆうな<br />
配役／<br />
ギャリー（演劇俳優）・・・・・・・稲垣吾郎<br />
リズ（ギャリーの妻、劇作家）・・・倉科カナ<br />
ジョアンナ（ヘンリーの妻）・・・・黒谷友香　<br />
モニカ（ギャリーの秘書）・・・・・桑原裕子　<br />
ローランド（脚本家志望）・・・・・望月 歩　<br />
ヘンリー（プロデューサー）・・・・金子岳憲　<br />
フレッド（ギャリーの付き人）・・・中谷優心　<br />
ダフネ（ギャリーのファン）・・・・白河れい<br />
モリス（演出家、マネージャー）・・浜田信也　<br />
ミス・エリクソン（家政婦）・・・・広岡由里子<br />
<br />
【梗概】舞台はロンドンの高級アパートメントの一室。実力とカリスマ性を兼ね備え、誰からも好かれるスター俳優ギャリー。だが彼は人気俳優ならではの孤独感と老いへの恐れを抱え、私生活でも演技をせずにはいられない。まもなく海外ツアーへ出発する彼のもとを次から次へと個性的な面々が訪ねて来て、厄介な騒動を巻き起こし・・・。<br />
<br />
上の梗概は主催団体によるものだが、もう少し詳しく説明すると、これは高名な舞台俳優を中心に、その周囲に群がる妻、秘書、マネージャー、プロデューサー、付き人、家政婦、熱烈なファンなどが入り乱れ、痴話喧嘩とも錯綜した心理ドラマともつかぬ、おかしな人間模様を繰り広げる。初演時（1942年、ブラックプール、グランド・シアター／1943年、ロンドン、ヘイマーケット座）では主役をノエル・カワードが演じたから、観客たちは純然たるフィクションと知りつつも、カワードその人の日常——その隠された奇妙な生態を覗き見るような、虚実の境界を探るかのような興味をかき立てられたに違いない。<br />
<br />
❖<br />
<br />
この芝居は小生にはたいそう懐かしい、というか、ほろ苦い観劇体験が過去にある。友人に強く誘われて初訪英した1993年12月、西も東も皆目わからないままロンドンで、生まれて初めて英語のストレート・プレイを観た。それがこの "Present Laughter" だったのである。<br />
もちろん字幕などありはしない。それまでノエル・カワードの芝居は東京で何本か観ていたので、挑戦するつもりで原語上演に足を運んだのである。とはいえ、旅に出る前に最低限の準備は怠らなかった。手元の参考書で芝居の梗概を調べ、戯曲集で途中まで（全三幕のうち二幕まで）台本をざっと読んでおいた。<br />
<br />
シャフツベリー通りの由緒正しいグローブ座（現・ギールグッド座）での観劇は緊張し通し、アウェイ感の極みだ。主役のギャリーを演じたのは名優トム・コンティ（Tom Conti）だったと記憶する。<br />
もちろん周囲の客席に陣取るのは芝居好きの英国人ばかり。舞台上の会話に素早く反応して、ゲラゲラと声高な哄笑、苦笑、失笑、爆笑の連続だ。小生はといえば、どうにか筋を追うのがやっとで、マシンガンのように発せられる台詞の応酬にはとてもついていけない。<br />
なによりも悲しかったのは、事前に結末までは知りたくないので、わざと予習せずにおいた第三幕に入った途端、何が何だか展開がさっぱり追えなくなり、急転直下の大団円も、どこでどう結着がついたのか、全く判然とせぬまま幕となった。爾来《プレゼント・ラフター》は、わがトラウマとなって三十余年後の今日に至る。<br />
<br />
❖<br />
<br />
いや～、驚いたのなんの！ 稲垣吾郎がこんなにも優れた役者だったとは、今の今まで知らなんだ。中年にさしかかった（戯曲が書かれた当時はむしろ初老というイメージか）スター俳優が内心に不安を抱えつつも虚勢を張って、演劇活動にいそしむ傍ら、騒がしく色恋沙汰にまみれるという役どころ（ノエル・カワードが描き出した自身のパブリック・イメージ）をここまで巧みに演じてみせるなんて！<br />
とにかく芝居が丁寧だ。台詞回しが淀みなく流暢なばかりか、間の取り方や視線の投げ方、攻めと受けの芝居がいちいち巧みで、一分の隙なくギャリーになりきってみせる。それも余裕綽々になのだ。<br />
「中年にさしかかった大スター」そのものの稲垣にとってギャリーは嵌り役というか、むしろ「当て書き」の印象すら受けるが、そう思わせるほど役柄になりきって演じているのだろう。「まるで地のまま」と思わせてしまう芝居の巧緻さには舌を巻くしかない。<br />
<br />
ギャリーを取り巻く周囲の人々それぞれの造形にも抜かりがない。別居妻も愛人も秘書も家政婦もマネージャーも押しかけファンも、彼の気紛れな振舞に振り回され、手を焼きながらも、世界は彼を中心に回っている。彼らは輝けるスターの周囲をめぐる衛星であり、運命共同体の一員なのだ。この舞台を演出した小山ゆうなはニール・サイモンの芝居で評判をとった人だそうで、なるほど、さもありなん、登場人物すべての佇まいが周到に整えられている。さすがだなあ！<br />
<br />
もうひとつ、忘れてならないのは徐 賀世子（じょ かよこ）が手がけた台本翻訳が上首尾の出来だったこと。洋画のTV用の吹替版台本で実力を磨き、《セールスマンの死》《ガラスの動物園》《十二人の怒れる男》《ドレッサー》などの新訳を次々に手がけている名手だそうだ。なるほど、そういう練達の翻訳家の仕事だからこそ、あれだけの分量の台詞が矢継ぎ早に連射されても、聞き取りづらいところが皆無なのだ。演者たちの滑舌のよさも奏功したろうが、何よりもまず耳にすんなり馴染む邦訳台本だったからだろう。<br />
このカワード劇はこれまで日本語の活字になっていないはずで、今回の翻訳台本もこの上演のため徐が新たに誂えたものだと思う。まるでカワードが最初から日本語で当て書きしてくれたかのような、滞りなく自然に弾ける饒舌さが全幕を貫いていた。<br />
<br />
❖<br />
<br />
この主役、この演出、この台本だからこそ成就した理想的なカワード上演。今度こそようやく《プレゼント・ラフター》の大団円の可笑しさが小生にも会得でき、心ゆくまで大笑いしたのである。<br />
<br />
忘れずに付記しておくが、上演前と幕間に挿入歌ふうに流される音楽がすこぶるいい。カワード自身が作詞作曲した《マッド・ドッグ・アンド・イングリッシュマン》と《イフ・ラヴ・ワー・オール》、それからコール・ポーターの《ユー・アー・ザ・トップ》――その選曲のセンスにもちょっと唸らされた。<br />
<br />
<br />
]]></content>
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    <title>「マホガニーの部屋」から「翳りゆく部屋」へ</title>
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    <issued>2026-01-02T19:15:00+09:00</issued>
    <modified>2026-01-03T11:38:38+09:00</modified>
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    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>音楽</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[大晦日にTVで「紅白歌合戦」を観る習慣を失って久しい小生だが、先日は成り行きで観るともなく観てしまった。ハンバート ハンバートが朝ドラ主題歌をデュエットしたり、石川さゆりが「天城越え」をフル編成のNHK交響楽団（！）の伴奏で歌ったり、布施明や矢沢永吉が年齢を感じさせない声量で熱唱したりした。<br />
事前に出演者をチェックしなかったので、終わり近くにユーミンが登場したのには意表を突かれた。七十代に入った彼女の歌唱はとても褒められた出来でなく、高音が出ずに苦しそうだし、音程も終始ふらついて、聴いているこちらが辛くなるほどだった。それでも二曲目でピアノに向かい、はるか昔の自作「翳りゆく部屋」を披露したのには驚きを禁じ得なかったのである。<br />
この曲は数あるユーミン作品のなかで別格的な存在――デビューするずっと前、彼女が中学生の頃に初めて書いた曲「マホガニーの部屋」の詞をのちに書き改めた新版――だからだ。つまり、この晴れがましい紅白の場で彼女は五十数年前の「初めの一歩」を新たに辿り直すことで原点に回帰し、天才少女だった自分自身を再確認しようと欲したのだろう。その姿にはなにやら切実に胸を打つものがあった。<br />
<br />
❖<br />
<br />
「マホガニーの部屋」1968年<br />
<br />
灰色の夕暮れがそっと　<br />
私に訪れた時<br />
私は部屋のドアを開けて　<br />
ランプに暗い火を灯す<br />
<br />
冷たいシーツに足を伸ばし　<br />
闇の世界の入り口で<br />
私の静かな友達を　<br />
ただひとり迎え入れる<br />
<br />
　　愛よ　色褪せた　遠い日の光よ<br />
　　もう二度と戻らない　<br />
　　私が今死んでも<br />
<br />
ランプの消えた後にほのかな　<br />
油の匂いがする<br />
彷徨い歩くミニヨンのように　<br />
霞んでゆく細い煙<br />
<br />
　　愛よ　色褪せた　遠い日の光よ<br />
　　もう二度と戻らない　<br />
　　私が今死んでも<br />
<br />
　　愛よ　色褪せた　遠い日の光よ<br />
　　もう二度と届かない　<br />
　　私が今死んでも<br />
<br />
❖<br />
<br />
「マホガニーの部屋」は彼女が十四歳で作詞作曲した記念すべき第一作である。にもかかわらず、この曲はなぜかファースト・アルバム《ひこうき雲》（1973）にも、セカンド・アルバム《ミスリム》（1974）にも収録されず、未発表のまま継子扱いされてきた。それでもデビュー当初の彼女はコンサートでしばしば歌っていたから、曲そのものを忌避したわけではない。むしろ大切な処女作だからこそ、どうやって世に出すかを慎重に思案していたのだろう。<br />
手控え帖に今も残るデビュー当時の彼女の演奏記録から、「マホガニーの部屋」がどのくらいの頻度で歌われていたか調べてみた。<br />
<br />
■ 1974年4月21日、東京・新橋、ヤクルトホール<br />
「First Impression」（デビュー・コンサート）￥1,500<br />
＊「雨の街で」と「やさしさに包まれたなら」の間で。MCでは「これは私がいちばん昔につくった曲のひとつ」と紹介。<br />
<br />
■ 1974年6月22日、東京・渋谷、ジァン・ジァン<br />
昼の部「新人デー」￥300<br />
＊「雨の街で」と「やさしさに包まれたなら」の間で。<br />
<br />
■ 1974年8月31日、東京・渋谷、ジァン・ジァン<br />
昼の部（ダッチャとのジョイント）￥300<br />
＊「12月の雨」に続き、マイク片手にステージ中央に立って歌った。<br />
<br />
■ 1974年9月28日、東京・渋谷、ジァン・ジァン<br />
昼の部（ブレッド＆バターとのジョイント）￥300<br />
＊「12月の雨」と「そのまま」の間で。<br />
<br />
■ 1974年10月5日、東京・銀座、山野楽器（上階のホール） <br />
アルバム《ミスリム》発売記念コンサート（シュガーベイブ共演）<br />
＊「マホガニーの部屋」は歌われず。<br />
<br />
■ 1974年10月11日、東京・新宿、ルイード<br />
＊後半の「海を見ていた午後」と「12月の雨」の間に。<br />
<br />
■ 1974年10月25日、東京・渋谷、ジァン・ジァン<br />
夜の部「出会い」（ブレッド＆バターとのジョイント）￥800<br />
＊「マホガニーの部屋」は歌われず。<br />
<br />
■ 1974年11月3日、神奈川・相模原、東海大学（学園祭）<br />
＊「マホガニーの部屋」は歌われず。<br />
<br />
■ 1974年11月26日、東京・九段、千代田公会堂<br />
かまやつひろしとのジョイント。<br />
＊「マホガニーの部屋」は歌われず。<br />
<br />
■ 1974年11月29日、東京・渋谷、ジァン・ジァン<br />
夜の部「出合い」（ブレッド＆バターとのジョイント）￥800<br />
＊「マホガニーの部屋」は歌われず。<br />
<br />
■ 1974年12月16日、東京・渋谷、ジァン・ジァン<br />
夜の部「出合い」（ブレッド＆バターとのジョイント）￥800<br />
＊「マホガニーの部屋」は歌われず。<br />
<br />
■ 1974年12月20日、東京・水道橋、労音会館<br />
新鋭アーチスト・シリーズ No.10「荒井由実コンサート」￥600<br />
＊全二十曲のあと、アンコールで「マホガニーの部屋」。<br />
<br />
■ 1974年12月24日、東京・水道橋、労音会館<br />
3大学合同ロックコンサート 風信旗　ゲスト：荒井由実 ￥600<br />
＊「マホガニーの部屋」は歌われず。<br />
<br />
■ 1974年12月25日、東京・神宮外苑、日本青年館<br />
「クリスマス・コンサート」（吉田美奈子、山本潤子、シュガーベイブと）￥1,500/1,200<br />
＊「マホガニーの部屋」は歌われず。<br />
<br />
■ 1975年1月4日、東京・渋谷、ジァン・ジァン<br />
夜の部「荒井由実ニュー・イヤー・コンサート」￥1,000<br />
＊「マホガニーの部屋」は歌われず。<br />
<br />
■ 1975年1月14日、横浜市民ホール<br />
「Sky Hills Party vol. 1」（吉田美奈子、シュガーベイブと）￥500<br />
＊「マホガニーの部屋」は歌われず。<br />
<br />
1974年10月5日にアルバム《ミスリム》が発売され、ユーミンのポップ指向が定まるにつれ、ダークで内省的な「マホガニーの部屋」は路線から逸れた異質な楽曲としてコンサートのレパートリーから次第に除外され、シングル盤のための録音も取りやめになった。この曲の歌詞を全面的に書き換え、失恋ソングともとれる内容に改めた新曲シングル「翳りゆく部屋」が世に出たのは、新曲「あの日にかえりたい」（1975年10月）の記録的大ヒットを承けた1976年3月5日だった。<br />
<br />
❖<br />
<br />
「翳りゆく部屋」1976年<br />
<br />
窓辺に置いた椅子にもたれ　<br />
あなたは夕陽見てた<br />
なげやりな別れの気配を　<br />
横顔に漂わせ<br />
<br />
二人の言葉はあてもなく　<br />
過ぎた日々をさまよう<br />
ふりむけばドアの隙間から　<br />
宵闇がしのび込む<br />
<br />
　　どんな運命が　愛を遠ざけたの　<br />
　　輝きはもどらない　<br />
　　わたしが今死んでも<br />
<br />
ランプを灯せば街は沈み　<br />
窓には部屋が映る<br />
冷たい壁に耳をあてて　<br />
靴音を追いかけた<br />
<br />
　　どんな運命が　愛を遠ざけたの　<br />
　　輝きはもどらない　<br />
　　わたしが今死んでも<br />
<br />
　　どんな運命が　愛を遠ざけたの　<br />
　　輝きはもどらない　<br />
　　わたしが今死んでも<br />
<br />
「翳りゆく部屋」の歌詞では、旧作「マホガニーの部屋」には不在だった「あなた」を冒頭で登場させることで、恋の終焉を悲しむラヴソングへと変容させようとしたのだろう。かつてユーミンからそう伝え聞いたと記憶するのだが、「マホガニーの部屋」の歌詞は当時の友人との合作だったため、百パーセント自作の詞に書き改める必要もあったらしい。<br />
]]></content>
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    <title>クリスマスに聴く究極の「胡桃割り人形」</title>
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    <issued>2025-12-25T19:02:00+09:00</issued>
    <modified>2025-12-25T21:06:48+09:00</modified>
    <created>2025-12-25T21:06:13+09:00</created>
    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>音楽</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[十二月二十四日には、えいせいこもんかん（てがらのあったおいしゃさんのこと）シュタールバウムの家の子どもたちは、一日じゅう、中のまには、はいってはいけないことになっていました。中のまにつづいた大ひろまには、なおさらいけません。<br />
フリッツとマリーは、おくのまのすみっこに、小さくなって、すわっていました。<br />
へやの中にはもう、こい夕やみが、たちこめていました。でも、その日は、だれも、あかりをもってきてくれませんでしたから、ふたりは、すっかりこわくなってしまいました。<br />
フリッツは、そうっと、いもうとのマリーにいいました。マリーはまだやっと七つになったばかりでした。<br />
「けさはやくから、中のまだの、大ひろまで、なんだか、がさがさ、ごとごとしているけど。さっきだれか、小さな人が、大きなはこをかかえて、そっと、げんかんのまをとおっていったけど、あれ、きっとドロッセルマイエルおじさんだよ。」<br />
マリーはうれしそうに、小さな手をたたいて、いいました。<br />
「まあ。ドロッセルマイエルおじさん、なにをこしらえてきてくれたかしら。」<br />
じょうせきはんじ（さいばんかんのやくの名）のドロッセルマイエルさんは、どうみても、ようすのいい人とはいえませんでした。<br />
やせっぽちの小男で、かおはしわだらけ、右の目はなくて、そのかわりに、大きな、くろいこうやくを、べったりはりつけていました。あたまの毛は、一本もありません。で、ガラスでこしらえた、きれいな、まっ白なかずらをかぶっていました。<br />
ところで、おじさんは、たいへんきような人でした。とけいのことなんかまで、とてもよくしっていて、じぶんで、こしらえることもできました。［・・・］<br />
ドロッセルマイエルおじさんは、いつも子どもたちのよろこびそうなものを、ポケットにいれて、もってきてくれました。<br />
クリスマスには、たいへんりっぱなさいくものを、こしらえてきてくれました。でも、とても手のかかったものでしたから、おとうさんやおかあさんは、もらうがはやいか、しまいこんでしまいました。<br />
「ねえ、おじさん、なにをこしらえて、きてくれたかしら。」<br />
とマリーはいいました。<br />
「こんどはきっとおしろだよ。いろんな、かわいいへいたいがいて、こうしんしたり、えんしゅうしたりしているんだ。そこへ、てきのへいたいがやってきて、おしろの中へはいろうとするんだ。おしろの中のへいたいは、ドンドン、バンバン、すごい音をさせて、たいほうをうつんだよ。」<br />
とフリッツはいいました。<br />
「ちがうわ、ちがうわ。」<br />
マリーは、にいさんのことばをさえぎって、いいました。<br />
「まえに、おじさん、あたしに、大きなみずうみのある、きれいなおにわの話をしてくれたわ。そのみずうみには、きんのゆびわをつけた、りっぱなはくちょうがうかんで、うつくしいうたをうたっているの。そうすると、おにわから、かわいい女の子がおりてきて、はくちょうをよんで、マルチパン（おさとうとアマンドというくだもののはいったパン）をあげるのよ。」<br />
—―ホフマン作／塩谷太郎 訳／油野誠一 さしえ<br />
「くるみわりにんぎょうと ねずみの王さま」<br />
『世界童話文学全集』７　ドイツ童話集<br />
昭和三十五（1960）年八月十日発行<br />
講談社<br />
<br />
この子供向け文学全集の端本は、小学二年生の時分に母方の伯母が買ってくれたものと記憶する。ハウフ、ビュルガー、ベヒシュタイン、ヘーベル、レアンダー、シュトルムらドイツ児童文学の古典を集めた優れた選集だが、小生がたちまち夢中になったのは、この本で最も長いホフマンの「くるみわりにんぎょうと ねずみの王さま」だった。奇想天外な物語の展開に、われを忘れて読み耽ったものだ。なにしろ百五十頁近くを占める大作ゆえ、これこそが独力で読み通した生涯初の長篇小説ということになろう。油野誠一の挿絵がすこぶる魅力的で、そのままのイメージが色付きで夢のなかにも登場したほどだ。<br />
<br />
❖<br />
<br />
そんなわけで、クリスマスといえば《胡桃割り人形》である。<br />
<br />
チャイコフスキー：<br />
バレエ《胡桃割り人形 Щелкунчик》抜粋<br />
■ 第六曲／情景（来客たちの辞去～夜）<br />
■ 第七曲／情景（戦闘）<br />
■ 第八曲／情景（冬の樅の木）<br />
■ 第九曲／雪片の円舞曲<br />
■ 第十四曲／パ・ド・ドゥー（金平糖の精と王子のアダージュ）<br />
■ 第十五曲／終幕の円舞曲と大団円<br />
エヴゲニー・ムラヴィンスキー指揮<br />
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団<br />
1981年12月31日、レニングラード、フィルハーモニー大ホール（実況）<br />
Philips 420 483-2 (CD, 1990)<br />
https://www.youtube.com/watch?v=JiN_yksZYlQ&amp;t=28s<br />
<br />
そういう次第で、クリスマス当日に取り出したこのチャイコフスキーのバレエ音楽《胡桃割り人形》抜粋は、数多く流通するムラヴィンスキーの実況音源のうちで、ごく例外的な存在に属するものだ。不思議なことに、この録音だけは東京で耳にした生演奏の記憶とさほど隔たりを覚えず、心安んじて聴いていられるのだ。<br />
この曲の実演は忘れもしない、1977年10月12日に東京文化会館で聴き、その折りの強烈深甚な印象は半世紀後の今も生々しく脳裏に刻まれていて、演奏の細部に至るまで「このライヴ録音とほぼ同一だった」とはっきり断じうる気がする。レニングラードでの録音条件がよほどよかったのか、あるいは曲の性質が実演と録音の差をさほど感じさせないのか、そのあたりは自分でもよくわからない。<br />
<br />
老境に入ったムラヴィンスキーが指揮するレパートリーはきわめて限定的だった。チャイコフスキーの場合も、交響曲なら《第四》はもはや振らず、もっぱら《第五》と《悲愴》、なぜか晩年まで変わらず鍾愛の曲だった《フランチェスカ・ダ・リーミニ》、そしてバレエ《胡桃割り人形》と《眠りの森の美女》の抜粋に限られていた。<br />
自分のなかでとことん納得のゆく解釈が確定した、ごく少数の楽曲だけを繰り返し演奏会にかけ、気の遠くなるほど時間をかけて徹底的なリハーサルを重ね、いかなる細部をも疎かにせず彫琢していく。それがムラヴィンスキーならではの頑固な流儀だった。<br />
<br />
❖<br />
<br />
半世紀の長きにわたりレニングラード・フィルに君臨して、世界屈指の楽団に鍛え上げたあとも、ムラヴィンスキーはあたかも学生オーケストラに対するが如く、手取り足取り厳格に指導した。彼とその手兵との関係がどんなものか、舞台上の彼らの姿を瞥見するだけで、そして演奏を聴けば尚更だが、まさしく一心同体（むしろ不即不離というべきか）だったのは、誰の眼にも明らかだった。<br />
バレエ音楽に対するムラヴィンスキーの並々ならぬ愛着には、彼が若き日にマリインスキー劇場バレエ団（当時の「国立アカデミー・バレエ劇場」、やがてキーロフ・バレエ団）の専属指揮者としてデビューし（演目は《眠りの森の美女》だった）、《胡桃割り人形》の指揮で絶賛を博したという経歴が大きく影響しているだろう。<br />
だからと言って、彼が演奏会で指揮する《胡桃割り人形》に、バレエで親しんだお子様向けの愉しいお伽噺を求めてはならない。マリインスキー劇場で修練を重ねたムラヴィンスキーにとって、このバレエは幾多の現場体験を通じ自家薬籠中の曲となっていたわけだが、ディヴェルティスマン風に各国の踊りを連ね「花の円舞曲」で締めくくられる従来の組曲版に、彼はどうにも満足できなかったとおぼしい。<br />
ムラヴィンスキーが最終的に《胡桃割り人形》の音楽に見出したのは、《第五》あるいは《悲愴》交響曲に勝るとも劣らぬ、深刻にして激越な内面のドラマだったのだ。<br />
<br />
元のバレエの展開に沿って降誕祭前夜のパーティの余韻から仄暗い夜の描写へと進んだ音楽は、にわかに荘重な調子を帯びて高潮し（ここが壮絶無比の盛り上がりだ）、やがて鼠の大群と玩具の兵隊たちとの戦闘場面へと至る。<br />
主人公の少女の加勢を得て玩具の軍団が辛うじて勝利すると、胡桃割り人形は王子へと姿を変え、少女と共に別天地へと旅立つ場面となる（トランペットが喨々と鳴り響くクライマックス）。そして夢幻的な「雪片の円舞曲」が雰囲気たっぷりにホフマン的なほの暗い神秘の世界を現出させる（原曲の児童合唱は省かれる）。<br />
<br />
このあとバレエでは「お菓子の国」を舞台にスペイン・アラビア・中国など異国情緒を釀すディヴェルティスマン——組曲版で誰もが親炙する――が展開されるのだが、ムラヴィンスキーはこれら一連の舞曲に一顧も与えずに容赦なく割愛し（有名な「花の円舞曲」もだ）、一気に終盤「パ・ド・ドゥー」のアダージュへと突入する。随分と捻くれた処置のようだが、これこそがムラヴィンスキーの真骨頂のありようなのだ。<br />
このアダージュにおけるチャイコフスキー特有の長く深々とした息遣い、至純な気高さへの飽くなき憧れ、取るに足らぬ旋律主題（なにしろ「ドシラソファミレド」なのだ！）を崇高なクライマックスへと導く天才的手腕――ムラヴィンスキーの魔法のような棒は、それらを余すところなく証拠だてる。<br />
<br />
これは断じてお子様向けのバレエではない、大人の玩味歎賞に堪えうる強靭堅牢な交響楽なのだ、と彼は声高く訴えているのだ。<br />
《悲愴》交響曲に酷似したパセティックな集中はもはやバレエ音楽の域をはるかに超え、崇高の極みへと聴き手を拉し去る。心臓を鷲摑みにされるような凄まじい体験だ。<br />
《胡桃割り人形》とは、かくも気高く感動的な音楽だったのか。もちろんそうだ、そうに決まっている、とムラヴィンスキーが自信をもって断言する声が聞こえてきそうな演奏である。<br />
<br />
❖<br />
<br />
凄い、あまりにも凄すぎる。だが半面これは罪作りな演奏でもある。他の指揮者のどんな解釈もどんな創意工夫も、なべて凡庸な小細工に思えてしまうからだ。ムラヴィンスキーの奥義の効能はかくも絶大で、耳にした者の記憶に一生涯ずっと刻まれ、消えずに残るだろう。<br />
<br />
かかる演奏を普段から日常的に、当たり前のように耳にしていたレニングラード市民の幸福に嫉妬せずにはいられない。あの白い列柱が並ぶ優美なフィルハーモニー大ホール（旧「貴族会館」）は、この晩もさぞかし超満員だったに違いない。<br />
師走も押しつまった大晦日の夜更け、演奏会が終わって外に出たら、藝術広場はきっと一面の銀世界だったろう。<br />
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    <title>1975年のクリスマス・コンサート</title>
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    <issued>2025-12-23T11:21:00+09:00</issued>
    <modified>2025-12-23T17:14:19+09:00</modified>
    <created>2025-12-23T11:21:27+09:00</created>
    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>音楽</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[【秘宝発掘】<br />
「シュガー・ベイブ・クリスマス・コンサート」ポスター（1975）⇒ これ<br />
<br />
presents by TAKE ONE<br />
シュガー・ベイブ・クリスマス・コンサート<br />
12月23日（火）<br />
新宿厚生年金会館小ホール<br />
pm.6:00（開場）pm.6:30（開演）<br />
（前売）1,000yen （当日）1,300yem<br />
<br />
協賛／ニッポン放送、渋谷YAMAHA、パパソングス音楽出版、ロフト（荻窪、西荻窪、烏山、下北沢）<br />
◉チケットは新宿ステーションビル（1F）チケットビューロー、渋谷ヤマハミュージックガイド、銀座4丁目鳩居堂、池袋西武デパート内赤城屋プレイガイド、ロフト各店にて好評発売中 !!<br />
チケットの予約、お問い合せは：TAKE ONE 478-0331<br />
<br />
シュガー・ベイブ<br />
山下達郎／大貫妙子／村松邦男／寺尾次郎／上原裕<br />
告井延隆（センチメンタル・シティー・ロマンス）<br />
<br />
今からきっかり五十年前、1975年12月23日に新宿の東京厚生年金会館小ホールで催されたコンサートのポスター。当時、シュガー・ベイブのライヴは荻窪ロフトや渋谷のジァン・ジァンで毎月のように聴いていたから、わざわざ晴れがましい場まで出向くのには及ばない気がして、つい聴き逃してしまったのが悔やまれる。翌年春、このバンドが呆気なく解散してしまうのを知っていたなら、万難を排してでも出かけるべきだったろうが。それでも、このコンサートがよほど気になっていたのだろう、手元にチラシが何枚も残っているし、荻窪ロフトの入口の壁に、このA3判のポスターが掲げてあった情景を今でも鮮明に憶えている。憶えているどころではない、クリスマスを過ぎてもそのポスターが貼られたままだったので、こっそり剥がしてアパートに持ち帰った。だから、このポスターには上下に掲出紐の穴が開いている。<br />
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    <title>嵐山光三郎が遺した敬意と愛惜のポルトレ</title>
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    <issued>2025-11-29T11:59:00+09:00</issued>
    <modified>2025-11-29T12:59:51+09:00</modified>
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    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>読書</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[嵐山光三郎さんが亡くなられたそうだ。享年八十三。かつて《笑っていいとも！増刊号》などTV番組でお姿を頻繁に拝見したから、ああ、口髭のあの御仁、と思い出される方が多かろう。平凡社の編集者から作家へと転じ、例の「たのCのでR」のABC文体で一世を風靡し、文学者と食の関係を掘り下げ、松尾芭蕉の旅を独自の視点から論じた。だが嵐山光三郎の仕事といえば、何を措いてもまずこの一冊だろう。<br />
<br />
嵐山光三郎<br />
漂流怪人・きだみのる<br />
小学館<br />
2016<br />
<br />
きだみのるについて嵐山光三郎が書かねばならなかった動機は容易に察しがつく。彼は若い頃、平凡社の駆け出し編集者として本名の祐乗坊英昭（ゆうじょうぼうひであき）を名乗っていた時分、きだの連載を月刊グラフ雑誌『太陽』で担当し、一年間にわたって密なつきあいがあった。1970年から71年にかけてのことだ。時に嵐山青年は二十八歳、きだ翁は七十五歳だった。本書はそのとき彼が間近に見聞した自由人の桁外れに破天荒な振舞――「漂流怪人」ぶりをいきいきと、生々しく、面白おかしく、包み隠さずに、細大漏らさず活写する。<br />
<br />
この世にも類い稀な回想記については、刊行時（2016年3月4日）に嵐山さんがピーター・バラカンのラジオ番組「ザ・ライフスタイル・ミュージアム」に出演してしゃべった録音が遺されているので、まずはそれを聴いていただくのが早道かと思う。<br />
https://www.youtube.com/watch?v=8iwY_5r4n-w<br />
<br />
とにかく読んでほしい。規格外れのコズモポリタンな自由人・きだみのるの行状に目を瞠り、あるいは目を背けつつも、いつしか愛さずにいられなくなること必定である。漂流を続ける怪人への、敬意と愛惜に満ちたポルトレ。嵐山さんがどうしてもこの本を書かずにはいられなかった真意がひしひしと伝わってくる。必読の一冊というべきか。<br />
]]></content>
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    <title>ノット指揮の「子供と魔法」に涙する</title>
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    <issued>2025-11-15T19:11:00+09:00</issued>
    <modified>2025-12-25T23:41:05+09:00</modified>
    <created>2025-11-16T17:23:47+09:00</created>
    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>音楽</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[久しぶりのコンサートは鍾愛のオペラ——ラヴェルの《子供と魔法》全曲の演奏会形式上演。ただし、それでは一時間にも満たないので、前半にドビュッシーとデュリュフレが導入部ふうに加わっている。<br />
<br />
東京交響楽団 特別演奏会　ラヴェル：歌劇『子どもと魔法』<br />
2025年11月15日（土）14:00<br />
東京オペラシティ コンサートホール<br />
<br />
ドビュッシー： シレーヌ ～《夜想曲》より<br />
デュリュフレ： 三つの舞曲<br />
　I. 嬉遊曲　II. タンブーラン　III. 緩慢な舞曲<br />
◇<br />
ラヴェル： 歌劇《子供と魔法》<br />
<br />
坊や／小泉詠子<br />
母、中国茶碗、蜻蛉／加納悦子<br />
肘掛椅子、樹／加藤宏隆<br />
柱時計、牡猫／近藤 圭<br />
安楽椅子、羊飼娘、梟、蝙蝠／鵜木絵里<br />
火、姫君、夜鶯／三宅理恵<br />
羊飼、牝猫、栗鼠／金子美香<br />
ティーポット、小柄な老人（算術）、雨蛙／糸賀修平<br />
合唱／二期会合唱団<br />
<br />
ジョナサン・ノット指揮<br />
東京交響楽団<br />
<br />
悪戯坊やの乱暴狼藉を懲らしめようと、肘掛椅子やら大時計やら中国茶碗やらウェッジウッド製のティーポットやらがとっかえひっかえ現れては、諫め、なじり、叱り、威嚇する。後半ではさらに庭の木立や小動物たちがこぞって坊やに詰め寄って口々に責め苛む。およそ通常のオペラでは考えられない奇妙な登場人物と途方もない筋書なのだ。<br />
<br />
だからこのオペラの上演は困難を極める。なにしろ茶碗と急須が珍妙なデュエットを歌い踊り、暖炉の炎がコロラトゥーラで歌いながら坊やを脅かし、破れた壁紙から画中人物たちが姿を現してラメントを呟く。最初から最後まで奇想天外な場面の連続なのだから、演出家たちはいつも頭を悩ませ、無い知恵を絞るのである。<br />
今回のような演奏会形式だと、そのような苦心惨憺を免れる代わり、視覚を伴わずに音楽だけで物語の展開を聴衆に伝えなければならなくなる。装置も衣裳も所作もなしに、舞台上で何が起こっているのかを瞬時に理解させるのは至難の技だ。こちらもまた茨の道なのである。<br />
<br />
しからば今日はどうだったか？ 結論を記すなら、いろいろな努力と工夫で難関を突破して、たいそう上首尾な公演になったと思う。<br />
まず、歌手たちがいずれも芸達者な名人上手、歌唱表現が高水準なばかりか、身振り手振りを交えて巧みに歌ったので、この奇想天外なお伽噺が手応えある演技の連なりにまで高められたように思う。舞台上方に掲出された電光字幕も、ただ単に台詞を追うばかりでなく、状況を説明する「ト書き」まで詳しく提示されたため、このオペラに不案内な聴衆も、舞台上で何がどう展開されているのか、字幕を目で追うだけで過不足なく把握できたのではなかろうか。<br />
<br />
だが、何を措いても素晴らしかったのは、全体を率いる指揮者ジョナサン・ノットの統率力と、ラヴェルの音楽への理解の深さだろう。細部の精緻な彫琢については松本での小澤征爾に僅かばかり及ばない気がしたものの、あの独創的なオーケストレーションを「生身の音楽」として瑞々しく息づかせる手腕は並々ならぬ高度なものだ。<br />
オペラの後半、舞台が夜の庭に転じてからのノットの采配の見事さと言ったら！ ほの暗い闇のなかで明滅する生命の輝きを、奇蹟のように千変万化するオーケストラが映し出す。雨蛙や梟や蝙蝠がめいめい思いを口にし、やがて木々のコーラスも加わって、皆で必死に声を限りに「ママ！」と呼ぶクライマックスでは、作曲者がこの場面に籠めた真率な想いがまざまざと実感されて、聴いているだけでもう涙が滂沱と流れるのを禁じ得なかった。こんなにも凄い音楽、真実の愛に満ちた至純なオペラをラヴェルは書いたのだ...。<br />
<br />
終演後、年甲斐もなく目頭を押さえながらロビーに出たら、やはり同じように両眼を泣きはらして佇む人がいた。旧知の石黒万里生氏だ。「日本モーリス・ラヴェル友の会」を主宰する氏はこの演奏会のため金沢からわざわざ上京したのだという。しばし彼と言葉にならない感激を分かち合ったのち、後ろ髪を引かれながら会場を後にした。<br />
<br />
こんな感動的なラヴェルは滅多に聴けるものではない。作曲家生誕百五十年、オペラ初演百年の記念すべき年にふさわしい演奏会だった。<br />
]]></content>
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    <title>ミュンヘンから歌劇「ペネロープ」</title>
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    <issued>2025-11-14T14:15:00+09:00</issued>
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    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>音楽</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[NHK・FM「オペラ・ファンタスティカ」で、ガブリエル・フォーレ唯一の歌劇《ペネロープ  Pénélope》（1913）が始まったところだ。これは滅多に耳にする機会のない秘曲オペラで、舞台で観る可能性となると限りなく零に等しい。今夏の「ミュンヘン・オペラ・フェスティヴァル  Münchner Opernfestspiele」で舞台上演が叶ったのだという。<br />
<br />
2025年7月18日（初日）<br />
ミュンヘン、プリンツレゲンテン劇場<br />
<br />
ガブリエル・フォーレ作曲<br />
ルネ・フォーショワ台本<br />
歌劇《ペネロープ》全三幕<br />
<br />
ペネロープ王妃（Ms）／ヴィクトリヤ・カルカチェワ<br />
物乞い男、実はユリッス王（T）／ブランドン・ジョヴァノヴィッチ<br />
老乳母ウリクレー（Ms）／リナート・シャハム<br />
侍女クレオーヌ（Ms）／ヴァレリー・アイクホフ<br />
侍女メラント（S）／イ・ソンウ 이선우（李善宇）<br />
侍女アルカンドル（Ms）／マルティナ・ミスコリッド<br />
侍女フィロ（Ms）／エナ・ポングラーツ<br />
侍女リディ（S）／エイリン・ログネルド<br />
侍女ウリモーヌ（S）／エレーネ・グヴリティシュヴィリ<br />
求婚者アンティノユス（T）／ロイック・フェリックス<br />
求婚者ウリマック（Bar）／リー・メルローズ<br />
求婚者レオデス（T）／ジョエル・ウィリアムズ<br />
求婚者クテジップ（T）／ザカリー・リウ<br />
求婚者ピサンドル（T）／ダヴィズ・ジョーンズ<br />
老羊飼ウメー（Bar）／トーマス・モール<br />
羊飼の少年／テルツ少年合唱団のソリスト<br />
合唱／ラウシュヴェルク（LauschWerk）<br />
スザンナ・マルッキ指揮<br />
バイエルン州立管弦楽団<br />
<br />
実況録音提供／バイエルン放送協会 <br />
<br />
ホメロスの《オデュッセイア》で物語られるオデュッセウス（本作ではユリッス）の帰還の話だから、大筋においてはモンテヴェルディの歌劇《ウリッセの帰還》と同一なのだが、このフォーレのオペラでは乞食に身をやつした主人公の素姓は第一幕で老乳母によって見破られてしまうが、妻ペネロープはなぜかそれに気づかない、という設定になっている。ペネロープに言い寄る求婚者たちが最後に正体を明かしたユリッスの手で退治されてしまう結末はおんなじだ。<br />
<br />
世界初演は1913年3月4日、モンテカルロ歌劇場にて。同年5月10日には開場したばかりのシャンゼリゼ劇場でパリ初演が行われた。なにぶん同じ劇場でわずか三週間後にバレエ《春の祭典》のスキャンダラスな世界初演が挙行されて、その評判の影でフォーレの穏健でやや古風な新作オペラはすっかり影が薄くなったと伝えられる。<br />
日本初演はそれから八十年以上も経った1995年9月21日、東京の都市センターホールで「日本フォーレ協会」が作曲家の生誕百五十年を記念して開催した。小生は不覚にもこれを見逃している。二台ピアノ伴奏による舞台上演だったらしい。その代わり、小生は旅先のロンドンで1999年6月11日にギルドホール音楽学校の学生たちが歌い演じる上演を観る機会を得た。学生オペラと侮ることなかれ。校内の立派な劇場で、歌唱も演技も堂々として、ピットにはフル・オーケストラが入り、装置も衣裳もきちんと誂えた公演で、舞台の出来映えに目を瞠った次第である。舞台設定を古代神話の世界から20世紀のドイツ占領下のギリシアに移し、物語をナチスの将兵とパルチザンの戦いに読み替えた演出も悪くなかった。<br />
今回のミュンヘン上演は、少なくとも耳から聴くぶんには文句なく高水準の舞台であり、フォーレならではの高雅な抒情と、彼としては精一杯の劇的起伏がたっぷり味わえる。とりわけ主役ペネロープを歌ったヴィクトリヤ・カルカチェワの歌唱には惹き込まれた。<br />
アンドレア・ブレート（Andrea Breth）の演出もどうやら「読み替え」の流儀だったようで、登場人物たちは現代ふうの衣裳をまとい、そのうえ同じ人物が歌手と黙役（ダンサー）とに分かれて別々に登場するなど、このオペラを初めて観る人（ほぼ全員がそうだったろう）を戸惑わせる舞台だったらしい。こういう稀少な作品こそ、願わくば奇を衒わないオーソドックスな演出で観たいものだ。<br />
https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=N1J572GQZL_01_4283033<br />
<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
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    <title>ケン・ラッセルに復活の兆しか</title>
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    <issued>2025-11-07T23:04:00+09:00</issued>
    <modified>2025-11-07T23:07:19+09:00</modified>
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    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>映画</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[大森さわこ女史が心ゆくまでケン・ラッセル監督を語り尽くした文章を読むのはなんという歓びだろう。こういう共感体験を久しく忘れてしまっていた。《肉体の悪魔》（1971）リヴァイヴァル上映（新宿 ケイズシネマ「奇想天外映画祭」）の大好評を受けてのことだ。願わくばこれが新たなる復活の始まりでありますように。<br />
⇒「スクリーン・オン・ライン」掲載記事<br />
]]></content>
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    <title>ラヴェル「五時 フォックストロット」世界初演から百周年</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://numabe.exblog.jp/244705659/" />
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    <issued>2025-11-01T22:33:00+09:00</issued>
    <modified>2025-11-03T15:04:43+09:00</modified>
    <created>2025-11-02T22:33:18+09:00</created>
    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>音楽</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[きっかり百年前の1925（大正十四）年11月1日、東京の帝國ホテル演藝場で催されたフランスのピアノ奏者アンリ・ジル=マルシェックス Henri Gil-Marchex による連続演奏会（全六回）最終夜で、モーリス・ラヴェルの独奏曲《五時 フォックストロット》が世界初演された。<br />
<br />
連続演奏会のプログラム冊子から、この日の演目を書き写しておく。<br />
<br />
第六演奏會――舞踊的音樂演奏會（第二夜）<br />
<br />
アントアン フランシスク<br />
《オルフエの寶物　古代佛蘭西舞踊組曲》<br />
シューマン<br />
《謝肉祭》<br />
ウエーベル<br />
《ワルツへの招待》<br />
ショパン<br />
《二つのマズルカ》レ ミヌール／レ マジユール<br />
《三つのワルツ》<br />
　ラ ミヌール／ウイツト デイエズ ミヌール／レ ベモル マジユール<br />
《グランド ポロネーズ ラ ベモル マジユール》<br />
<br />
三つのスペイン舞踊<br />
マニユエル デ フアリア<br />
《水車屋の踊り》<br />
アルベニ<br />
《棕梠樹の下》<br />
《セグイデラ》<br />
<br />
クロード デビュッシー<br />
《ゴリウオグのケイク ウオーク》<br />
ダリアス ミルホー<br />
《ソオダード デュ ブレジル》<br />
ストラビンスキー<br />
《ピアノ ラッグ ミューヂック》<br />
モーリス ラベル<br />
《五時 フオッスク トロット》<br />
<br />
アンリー ヂル マルシエックスは一九二五年十一月一日於東京モーリス ラベルの FIVE O'CLOCK, FOX TROT の初演奏をなしたり<br />
<br />
FIVE O'CLOCK <br />
FOX-TROT<br />
PAR<br />
MAURICE RAVEL<br />
<br />
❖<br />
<br />
プログラム冊子冒頭の曲目リストには<br />
<br />
○五時【フアイブ オクロツク】 フッオクス トロット<br />
　世界に於ける初演奏　モーリス ラベル<br />
<br />
と明記されている。<br />
<br />
❖<br />
<br />
プログラム冊子のどこにもそう明記されないが、このモーリス・ラヴェル作曲《五時 フォックストロット》は、彼の二作目の歌劇《子供と魔法》のなかで中国製の茶碗と英国ウェッジウッド製のティーポットが歌い踊る珍妙な二重唱のことで、当夜ここで奏されたのは奏者ジル=マルシェックスの手でピアノ独奏用に編曲された幻想曲 "Five o'clock fox trot, Fantaisie pour piano deux mains" だったろうと推察される。<br />
<br />
ラヴェルのオペラは1925年3月21日にモンテカルロ歌劇場で世界初演されたばかりであり、ピアノ版《五時 フォックストロット》が初演された同年秋の時点では、パリ初演もなされていなかった。東京の聴衆がパリジャンに先んじて、一部分とはいえラヴェルの最新作に接していたわけだ。ジル=マルシェックスを日本に招聘し、かかる劃期的な演奏会を実現させた勧進元の薩摩治郎八の並外れた意欲と実行力に感嘆するほかない。<br />
<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>「瞳を閉じて」夢見た風景がそこに</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://numabe.exblog.jp/244706004/" />
    <id>http://numabe.exblog.jp/244706004/</id>
    <issued>2025-10-31T22:30:00+09:00</issued>
    <modified>2025-11-03T01:14:06+09:00</modified>
    <created>2025-11-03T01:12:29+09:00</created>
    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>音楽</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[思い出深い番組が再放映されるというので、興趣をそそられて観た。<br />
<br />
NHK総合テレビ<br />
10月31日（金）午後10:30<br />
時をかけるテレビ 〜今こそ見たい！この1本〜<br />
《瞳を閉じて 〜ユーミンが贈った島の歌〜》（1988）<br />
＝口上＝<br />
［長崎県五島列島・奈留島（なるしま）で愛唱歌として歌い継がれている「瞳を閉じて」。1974年に島の高校生の便りに応えて、ユーミンこと松任谷由実さんが贈った歌だ。1988年、この歌が音楽の教科書に採用されたのをきっかけに、高校の卒業生たちは歌の記念碑を作り、ユーミンを島に招待した。初めて歌のふるさとを訪ねるユーミンと島の人たちのふれあい。そして故郷を見直す卒業生たちの心の動きを描く。スタジオに松任谷由実さんを招く。］<br />
<br />
元番組／<br />
■ 新日本紀行「歌が生まれて そして ～長崎県奈留島～」<br />
　1976年4月12日初回放送<br />
■ 九州特集 「瞳を閉じて　ユーミンが贈った島のうた」<br />
　1988年9月8日初回放送<br />
スタジオ出演／<br />
　池上 彰、松任谷由実<br />
<br />
❖<br />
<br />
奈留島の長崎県立五島高等学校奈留分校には校歌が存在しなかった。分校だからといって、歌詞内容がそぐわない本校の校歌を歌わされるのは寂しい、私たちの校歌を作ってほしいと在校生の藤原あつみさんが深夜ラジオ番組「毛利久のオールナイトニッポン」に訴えたのを契機に、1974年の2月か3月、まだデビューしたてのユーミンが註文に応えて作曲したのがこの歌なのである（それに先立って加藤和彦の曲が作られたが、なぜかこれは没になってしまい、次に白羽の矢が立ったのがユーミンだった、という経緯だったらしい）。<br />
<br />
小生がこの歌を初めて耳にしたのは1974年4月4日深夜（5日早朝）。林美雄の番組「パックインミュージック」（TBSラジオ）にユーミンがテープを持参し、「こんな歌ができました」と披露したのを聴いたのだった（アルバム収録版とは別ヴァージョン）。いいなあ、天才少女ユーミンに校歌を作ってもらえるなんて、なんて羨ましいんだろう、とつくづく感じたのが懐かしく回想される。今でも同じ思いでいる。<br />
<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>盤鬼の新著にただ驚愕、ただ感嘆</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://numabe.exblog.jp/244705986/" />
    <id>http://numabe.exblog.jp/244705986/</id>
    <issued>2025-10-23T07:42:00+09:00</issued>
    <modified>2025-11-03T11:02:31+09:00</modified>
    <created>2025-11-03T01:05:52+09:00</created>
    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>読書</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[「盤鬼」こと平林直哉氏から新著をご恵贈いただいた。実は今月初めには届いていたのだが、発行日を待ってからレヴューしようと愚図愚図しているうち、ご紹介が遅くなってしまったものだ。<br />
<br />
平林直哉<br />
必聴！ ヴァイオリニスト30　魅惑の音色を発掘する<br />
靑弓社<br />
2025年10月15日刊<br />
<br />
本書には帯は掛かっておらず、その代わりにカヴァー袖の惹句にこうある。――「海外の音源に詳しい著者が、数々のSPやLPのなかからCD化されていない魅惑的な演奏を厳選して紹介する。長年を費やして集めた楽曲を聴き込んで魅力を語り、貴重な図版も多数所収するクラシックファン垂涎の力作！」<br />
<br />
なるほど、まさしくそのとおりの著作である。標題にあるように往年のヴァイオリン奏者が三十名ずらりと並び、音盤に刻まれた至芸が一人ずつ懇切丁寧に紹介されていく。ただし、その顔触れがいささか意表を突いている。<br />
アーサー・カテラル、ジョン・ダン、アルド・フェラレージ、ジャン・フルニエ、ステファン・ルーハ、ストイカ・ミラノヴァ。冒頭の数名を挙げるだけで、「誰それ？」となる。ハイフェッツもシゲティもオイストラフも出てこない。むしろ、実力のわりに活躍が地味だった、あるいは残された録音が少なかった、など諸般の事情から、忘却の淵に沈みかけた奏者ばかり三十人が採り上げられている。<br />
<br />
平林氏といえばフルトヴェングラー、ワルター、ムラヴィンスキーら往時の大指揮者の指揮芸術を語らせたら右に並ぶ者がいない論客で、自らの独立レーベル「グランドスラム」で独自の覆刻CDを数多く送り出してきた。その彼の新著がヴァイオリニストについての紹介本と知り、少しばかり意外の念を抱いたものだが、彼はもともと学生オーケストラでヴァイオリンを弾いていた人であり（今またレッスンを再開したそうな）、自らのレーベルからジョコンダ・デ・ヴィート、ヨハンナ・マルツィ、ジャニーヌ・アンドラード、ミシェル・オークレールら閨秀ヴァイオリン奏者の覆刻CDも手がけられていたのである。<br />
<br />
◇<br />
<br />
平林氏の筆致は平易で親しみやすいものだから、名前すら知らない往時のヴァイオリニストたちがひどく身近な存在に思えてくる。演奏の特色についても、巧みな修辞で丁寧に紹介されると、まるで行間から音が聴こえてきそうなほどだ。奏者たちのエピソードの開陳が巧みなので、興趣がどんどん湧いてくる。なんとしても稀少な音源を手に入れて、彼女や彼の録音を実際に聴いてみたくなる。<br />
<br />
氏のヴァイオリン演奏に対する嗜好性は些か古風で回顧的なものだ。ご自身もそれを自覚されており、「はじめに」のなかで「ヴァイオリンとは、甘ったるくて妖しく、しなだれかかるような雰囲気をもち、ときにはお涙頂戴的にすすり泣く楽器である」と明言され、古楽器奏者たちの「ピリオド奏法」への疑念と嫌悪を隠さない。<br />
必ずしも同意できない見解だが、それでも本書を読んでいると、往時の未知のヴァイオリニストたちの至芸に触れてみたくて、居ても立ってもいられなくなるのは、著者が抱く愛着が心の裡から滲み出た真実の共感にほかならず、強い伝播力を伴うからだろう。<br />
<br />
本書に採り上げられた三十名の奏者は皆それぞれに個性的で「聴いてみたくなる」存在に思えるが、小生はとりわけ十三番目に登場するシュテフィ・ゲイエル (Stefi Geyer) というハンガリー出身の閨秀ヴァイオリニストに惹かれた。なにしろべーラ・バルトークとオトマール・シェックという二人の作曲家が若き日に夢中になり、それぞれ協奏曲を捧げたというのである！ わずかながら現存するという彼女の音源（シェック作品の実況録音もある！）をなんとしても聴いてみたいものだ。<br />
<br />
]]></content>
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    <title>いかに戦争は描かれたのか</title>
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    <issued>2025-09-21T14:02:00+09:00</issued>
    <modified>2025-11-03T01:40:54+09:00</modified>
    <created>2025-09-21T14:34:51+09:00</created>
    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>読書</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[昨日たまたま立ち寄った愛知芸術文化センター地下二階の期間限定店 "TEMPORA" で見つけた面白い一冊。しかも千二百円という安価だ。<br />
<br />
<br />
<br />
いかに戦争は描かれたか<br />
著／大谷省吾、林 洋子、河田明久、木下直之<br />
編／村田 真<br />
BankART1929<br />
2017<br />
<br />
<br />
<br />
2015年1月から3月にかけて横浜のBankARTスクールで開講された八回の連続講座「戦争と美術」をここの校長の村田真が一冊にまとめたもの。わが国における戦争画とそれに類するジャンルを採り上げ、錚々たる面々が縦横に語り尽くした内容だ。これが面白くないわけがなかろう。竹橋の美術館が米国政府から無期限貸与された「戦争記録画」とは一体何か、とりわけ藤田嗣治の仕事の意味するもの、明治期の多様な戦争表象（錦絵、新聞挿絵、パノラマ、銅像、記念碑）。名古屋から東京まで新幹線各駅停車の道中、時の経つのも忘れ読み耽った。<br />
<br />
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    <title>名古屋でラヴェルのフォックス・トロット</title>
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    <issued>2025-09-20T23:01:00+09:00</issued>
    <modified>2025-11-03T01:53:28+09:00</modified>
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    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>音楽</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[朝六時に家を出て名古屋を目指す。週末の新幹線は大阪までが激混みと聞かされたので、あえて「のぞみ」を避け「ひかり」の自由席を確保。それでも途中の浜松からの乗客の多くは立ち乗りとなった。<br />
<br />
演奏会は午後なのだが、折角の遠征なので九時に現地入り。そのまま地下鉄の東山線に乗り換えて栄町へ。地下街の喫茶店「コンパル」で海老フライサンドと珈琲の朝食。ああ名古屋に来たのだと実感する。<br />
<br />
十時きっかりに愛知芸術文化センター十階へ。ここ愛知県美術館ほかで開催中の国際芸術祭「あいち2025」（「あいちトリエンナーレ」）をちょっと覗いてみる。「灰と薔薇のあいまに」というテーマが掲げられ、「人間と環境とを分断する国家や領土といった視点を越えて、地質学的な時間軸から見える未来の展望を提示」する（芸術監督フール・アル・カシミ）とのことだが、未知の作家が大半を占める展示を呆然と眺めながら、美術館の十階と八階のすべての展示室を一時間半ほどかけて一巡。しかしながら胸に響く作品には出逢えなかった。もっと根気強く時間をかけ、他の展示会場にも足を運べば違ったのかもしれないが、老書生にはこれがもう限界。<br />
芸術文化センターを地下二階まで降りて、期間限定のミュージアム・ショップで、帰りの車中で読むのにふさわしい美術書がないか物色。横浜のBankART1929でやった連続レクチャー『いかに戦争は描かれたか』（2017）を見つけてレジへ。さすがに疲労を覚えたので、この建物に隣接する広場「オアシス21」のカフェで喉を潤す。<br />
<br />
そろそろ正午という頃合に再び地下鉄の東山線を使って、七つ目の中村公園駅まで移動。大鳥居のある豊国神社参道を公園方向へと歩くうち俄かに空腹を覚えたので、老夫婦がひっそり営む和食屋「かみ谷」で昼食。刺身と豚汁の古典的定食をいただく。安価でしかも旨い。<br />
<br />
◇<br />
<br />
午後一時前、心配していた雨にも降られずに目指す中村公園に到着。この一帯は豊臣秀吉の生誕地とされ、敷地には豊国神社も建つが、今日の訪問の目的地はそこではなく、園内にある「中村文化小劇場ホール」で愛知音楽研究会が催すレクチャーコンサート＆シンポジウム「日本と音楽　中部地方から考える」を聴講することにある。<br />
一時半から六時半まで、五時間に及ぶ長丁場の催しであり、三つのレクチャーコンサートと二つのシンポジウムからなる大がかりで盛り沢山のイヴェントなので、委細をここに記すのはとても不可能だが、どれもがよく練り上げられ、傾聴に値する研究発表だったとのみ記しておこう。どんなにニッチな地域限定の事象でも、とことん調べると普遍的な問題に行きつく。これこそが歴史探索の醍醐味なのだ。<br />
<br />
多彩なプログラムの白眉は、ちょうど中盤あたりで聴けた以下のレクチャーコンサートだ。はるばる訪れた目的もそこにある。<br />
<br />
レクチャーコンサート②（15:55～16:25）<br />
白石朝子<br />
「遥かなる日本へのまなざし：ジル=マルシェックス初来日100周年・ラヴェル生誕150周年」<br />
演奏／白石朝子（ピアノ）、土屋裕子（ピアノ）<br />
曲目／<br />
ラヴェル：《マ・メール・ロワ》より（連弾）<br />
　　　　　■ 眠りの森の美女のパヴァーヌ<br />
　　　　　■ おやゆび小僧<br />
　　　　　■ パゴダの女王レドロネット<br />
ラヴェル（リュシアン・ガルバン編／連弾）：<br />
　　　　  《子どもと魔法》より<br />
　　　　　■ 雨蛙の踊り、蜻蛉と蛾の踊り<br />
　　　　　■ 五時のフォックス・トロット<br />
ラヴェル（アンリ・ジル=マルシェックス編）：<br />
　　　　  《五時のフォックス・トロット　二手のための幻想曲》<br />
<br />
このプログラムはラヴェル愛好家には垂涎の的だろう。なにしろ歌劇《子供と魔法》にまつわるピアノ編曲（いずれもラヴェル公認版）がまとめて聴ける。しかもジル=マルシェックス編曲版は1925年の初来日時に東京で世界初演（！）されたという代物。この時点でオペラそのものはまだパリ初演されていなかったのだから驚きである。それにしてもこの《幻想曲》は見るからに聴くからに演奏至難な編曲だ。ラヴェルの原曲にはないヴィルトゥオーゾ的な装飾音型が複雑に絡み合う。白石さんは堅実な技術で難所を切り抜けて天晴れ。<br />
白石さんはフランスのピアニストで最新のヨーロッパ音楽をわが国に伝えたアンリ・ジル=マルシェックス（Henri Gil-Marchex）を研究され、その浩瀚な論考で博士号を得た。このピアニストが日仏双方で成し遂げた文化貢献について、その後も地道な探索を続けられている。今回のレクチャーでも、1925年にジル=マルシェックスが東京からラヴェルに宛て送付したクリスマス・カード（フランス国立図書館蔵）がさりげなく初紹介されていて驚かされた（二つ目の画像がそれ）。<br />
<br />
◇<br />
<br />
全プログラムが終了すると午後六時半を回っていた。白石女史にご挨拶すると、そそくさ退出。暗くなった参道を地下鉄駅まで戻り、東山線で名古屋駅に。新幹線はひどい混雑が予想されるので自由席の多い「こだま」に乗車。東京まで二時間四十分かかるが、なあに急ぐ旅ではない。駅弁の味噌カツ＆海老天を頬張り、美術館で買った『いかに戦争は描かれたか』を読んだので退屈知らず。夜更けて十一時帰宅。<br />
<br />
]]></content>
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    <title>ショスタコーヴィチの訃報</title>
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    <issued>2025-08-09T23:30:00+09:00</issued>
    <modified>2025-11-03T01:40:28+09:00</modified>
    <created>2025-08-10T12:00:29+09:00</created>
    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>音楽</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[ショスタコビッチ氏が死去<br />
（朝日新聞 1975年8月11日）<br />
<br />
<br />
【モスクワ十日＝タス】<br />
著名なソ連の作曲家、ドミトリー・ショスタコビッチ氏は九日、病気のため死去した。六十八歳。（なお、ロイター電は、死因は心臓発作という家族の話を伝えている）。<br />
◇<br />
　ショスタコビッチは一九〇六年生まれ。一九二五年、十九歳のとき、ペトログラード音楽院卒業制作の第一交響曲で、世界的な名声を得た。十五の交響曲をはじめ、オペラから映画音楽まで幅広い分野で百以上の作品を発表、世界で最も偉大な作曲家の一人に数えられている。代表作には、第五、七交響曲、オラトリオ「森の歌」などがある。<br />
　一九三〇年代の代表作オペラ「ムツェンスクのマクベス夫人」が労働者階級にはむずかしすぎるとプラウダ紙上で批判されたのを始め、その現代音楽的な作風は一度ならずソ連政府の不興をかっているが、そのたびに政府の文化施策に従う姿勢の作品を発表、名誉を回復している。六十歳の誕生日には、ソ連最高の「社会主義労働英雄」の称号を与えられ、レーニン賞も受けている。<br />
<br />
【レノックス（米マサチューセッツ州）九日＝ＡＰ】<br />
ソ連の作曲家、Ｄ・ショスタコビッチ氏が九日夜、モスクワで死亡したことが九日、当地でのボストン交響楽団の演奏会の席上発表された。これは同楽団の音楽監督、小沢征爾氏が、ショスタコビッチの第五交響曲を演奏するに先立ち聴衆に発表したもので、小沢氏によると、客演指揮者のロストロポービッチ氏が同日、モスクワからの電話で「ショスタコビッチ氏が九日午後七時死亡した」との連絡を受けたという。（小沢氏の発表はモスクワからまだ報道される以前で、これがショスタコビッチ氏死去の最初の知らせとなった）<br />
<br />
スターリン時代の批判くぐり抜ける<br />
［作曲家柴田南雄氏の話］<br />
革命直後から、ソ連音楽界を芸術的にも楽壇的にも代表する作曲家だった。ソ連以外では、とくにアメリカや日本でその作品が好んで上演された。ロシア革命後、新鮮な感覚の第一交響曲を発表して、世界の作曲界のホープとみなされたが、やがて「明るい小川」というバレエ曲などが、社会主義リアリズム路線からはずれていると、スターリン時代のソ連で激しい批判を受けた。しかし、革命二十周年のために作った第五交響曲で、その危機をくぐりぬけ、以後、党の音楽理念を忠実に反映した数多くの作品でソビエト的音楽を盛りたてた。<br />
　スターリン時代、自分の作風を変えなかったために消えていったソ連の作曲家は少なくないのだが、”民衆への奉仕” という立場からこの時期、ショスタコビッチが作風を変えたことは、後世どう評価されるか注目したいところだ。ただ、彼の辞世の曲ともいえる最後の第十五交響曲で、ロッシーニやワーグナーなどを引用し、自分の作風の源泉を回顧していたのが、印象に残っている。<br />
<br />
<br />
⇒ 死亡記事<br />
]]></content>
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    <title>ロバート・ウィルソン死す</title>
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    <issued>2025-08-01T12:30:00+09:00</issued>
    <modified>2025-11-03T01:41:45+09:00</modified>
    <created>2025-08-02T07:42:09+09:00</created>
    <author><name>s_numabe</name></author>
    <dc:subject>舞台</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[昨日（7月31日）不世出の演出家ロバート・ウィルソンがニューヨーク州ウォーター・ミルのご自宅で「重篤な急病により」亡くなられたそうだ。享年八十三。そんなつもりで用意しておいた観劇リストではなかったのだが、心からの追悼の意を込めて、小生が体験できたドビュッシーのオペラ《ペレアスとメリザンド》を時系列で記しておこう。<br />
訃報 ⇒ https://robertwilson.com/news<br />
<br />
【わが《ペレアス》遭遇記録 1973–2022】<br />
<br />
▣ 1973年5月25日　※演奏会形式<br />
東京文化会館<br />
若杉 弘 指揮　<br />
読売日本交響楽団、日本プロ合唱団連合<br />
ペレアス／鈴木寛一<br />
メリザンド／林 靖子<br />
ゴロー／田島好一<br />
<br />
▣ 1997年10月14日<br />
パリ、オペラ座 （パレ・ガルニエ）<br />
ロバート・ウィルソン演出<br />
ジェイムズ・コンロン指揮 <br />
オペラ座管弦楽団・合唱団<br />
ペレアス／ラッセル・ブラウン <br />
メリザンド／ドーン・アップショー<br />
ゴロー／ジョゼ・ヴァン・ダム<br />
<br />
▣ 1998年12月16日　※演奏会形式<br />
東京、サントリーホール<br />
ジャン・フルネ指揮 <br />
東京都交響楽団、二期会合唱団<br />
ペレアス／鎌田直純<br />
メリザンド／奈良ゆみ<br />
ゴロー／大島幾雄<br />
<br />
▣ 2000年5月28日<br />
パリ、オペラ座 （パレ・ガルニエ）<br />
ロバート・ウィルソン演出<br />
マーク・エルダー指揮 <br />
オペラ座管弦楽団・合唱団<br />
ペレアス／ディートリヒ・ヘンシェル <br />
メリザンド／ジョーン・ロジャーズ<br />
ゴロー／ジョゼ・ヴァン・ダム<br />
<br />
▣ 2018年8月1日　※セミ・ステージ上演<br />
東京オペラシティ コンサートホール<br />
フィリップ・ベジア＆フローラン・シオー演出<br />
マルク・ミンコフスキ指揮<br />
オーケストラ・アンサンブル金沢、ドビュッシー特別合唱団<br />
ペレアス／スタニスラス・ド・バルベラック<br />
メリザンド／キアーラ・スケラート<br />
ゴロー／アレクサンドル・デュアメル<br />
<br />
▣ 2022年7月2日<br />
東京、新国立劇場 大劇場<br />
ケイティ・ミッチェル演出<br />
大野一士 指揮<br />
東京フィルハーモニー交響楽団、新国立劇場合唱団<br />
ペレアス／ベルナール・リシュテール<br />
メリザンド／カレン・ヴルシュ<br />
ゴロー／ロラン・ナウリ<br />
<br />
❖<br />
<br />
わが人生でこれまでに接したドビュッシーの歌劇《ペレアスとメリザンド》は、1973年の若杉弘指揮による演奏会形式上演（このオペラの日本で二度目の全曲演奏）を皮切りに、半世紀間で六回を数える。ただし、なかにはすっかり失念していたり、できれば記憶から抹殺したい公演もあり、細部まで明瞭に思い出せるのは、1997年と2000年にパリのオペラ座で観た舞台上演だけだ。それほどまでにロバート・ウィルソン演出から深甚な衝撃を受けた。<br />
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