今日も國會圖書館で明治・大正期の歌舞伎雑誌をあちこち拾い讀み。これらは正確には「總合演藝雑誌」と呼ぶべきなのだらうが、當時は未だ歌舞伎が演劇と殆ど同義語だつた時代なので「歌舞伎雑誌」と云ふほうが通りがいゝ。とは云へ散發的乍ら西洋演劇関係の記事も載つてゐる。時としてニジンスキーやパヴロワが登場したりするのでなかなか侮れない。
この手の雑誌の現物を目にするには早稲田の演劇博物館が恰好の場所なのだが、生憎この時期は入試で學内に立ち入れない。なので國會圖書館で吐き氣を催しつゝマイクロフィルム&フィッシュと格闘せざるを得ないのである。
さう云へば神保町の豐田書房と銀座の奥村書店といふ歌舞伎專門の老舗古書肆が相次いで閉店してしまつたのも痛手である。暇さへあれば立ち寄つて『歌舞伎』や『演藝畫報』や『新演藝』を漁つてゐた日々が思ひ出される。
豐田書房では痛んだ雑誌の背を和紙でせつせと補强修理してゐた。わざわざ古版本の故紙(?)を裏返して糊付けしてゐたのが懐かしい。手許にある雑誌の多くがかうして丁寧に補修されてゐる。
奥村書店は歌舞伎座の近くといふ場所柄か、役者プロマイドの類も豐富にあつて、いつぞやもあれこれ物色してゐたら、大正末に米國から來日した「
デニショーン舞踊團」の帝劇での公演寫眞セットを見つけたことがあつたつけ(
→その日の記事)。思へばあれが奥村での最後の買ひ物になつてしまつた。