今年は作曲家
ローベルト・シューマン生誕二百年目のアニヴァーサリー。六月八日の誕生日にはまだ間があるが、こんな話題はいかがだろうか。
半世紀以上も前になるが、1956年もシューマン・アニヴァーサリーだった。ただしこのときは歿後百周年。当然ながら母国ドイツでは記念切手が発行された。
その当時ドイツは東西に分断されていたから、切手もふたつの国家が競合して発行した。「あいつらには負けられないゾ」とばかりに双方とも対抗心を燃やし、デザインにあれこれ工夫を凝らした。、東西冷戦は世界の切手収集家に思いがけぬ愉しみを齎す結果となったのである。子供だった小生もそのおこぼれに与った。
まず
西ドイツから。作曲家のシルエットを中央に配した渋い趣向である(
→これ)。
発行は7月28日。シューマンの命日は7月29日なのだが、これは勘違いではない。たまたま日曜日に当たっていたため一日繰り上げになっただけの話だ。
迎え撃つは
東ドイツ。こちらは隣国に先んじて早くも7月20日の発行である。しかも十マルク(
緑)と二十マルク(
赤)の二種類。よく知られた肖像画をあしらい、背後には自筆楽譜を配している(
→これ)。
「西」がいささか地味で通好みなのに対し、「東」は一目でシューマンとわかる。彩りも目に鮮やか。デザインの優劣はともかくとして、記念切手という趣旨に照らすなら「東」にどうやら軍配が上がりそうだ。
ところが、である。思いもよらない事実が発覚した。
東ドイツの「シューマン切手」で背景に登場する楽譜がシューマンのものでなかったというのだ。ここに描かれているのは、なんとシューベルトがゲーテの詩に作曲した歌曲「さすらい人の夜の歌 Wanderers Nachtlied」の手書き譜だった。
それにしても、どうしてこんな間違いが生じたのだろう。シューマンとシューベルトを取り違えた? そんな初歩的なミスがあり得るのだろうか。
たかが切手ぢゃないかという勿れ。なにしろ国家の威信に関わる重大事なのだ。
ミスに気づいた東ドイツ郵政当局は直ちに非を認め、背後の楽譜を正しいものに差し替えた「正しいシューマン切手」を刷り直すことを決断した。
ただし即座に事は運ばない。資料再調査、再デザイン、印刷、糊付け、目打入れ、と切手製作には何かと手間暇がかかる。修正版が発行されたのは漸く10月8日になってから。シューマンの命日から二か月以上も経ってしまっていた。恥ずべき「間違い」切手はすでにかなりの数が流通していて、回収することは不可能だった。
出し遅れの証文よろしく再発行と相成った切手には、今度は間違いなくシューマンの歌曲「月の夜 Mondnacht」の手稿譜が配されていた(
→これ)。下の二枚が修正済ヴァージョンである。やれやれ。
以上がフィラテリスト(切手収集家)だったら誰でも知っている、切手史上に名高い「シューマン/シューベルト取り違え事件」の顛末である。
事の成り行きを対岸の火事よろしく眺めていた西ドイツ郵政当局も内心きっと心配になったことだろう。「うちのほうは大丈夫だろうな?」と。「西」のシューマン切手にも背後に手書き楽譜が配されていたからである。
大丈夫、ここに記された楽譜は間違いなくシューマン。ピアノ・ソナタ第一番の冒頭なのだそうだ。関係者一同ホッと胸を撫で下ろしたことであろう。