昨日のエントリーで「歌う銀幕スター夢の狂宴」を回想したら俄かに日本映画が観たくなった。四谷まで出る用事があったので、序に渋谷まで足を延ばして円山町の邦画専門名画座「シネマヴェーラ渋谷」へ赴く。
先般からここで特集上映「
消えゆく曽根中生!?」をやっている。気になるタイトルだ。曽根中生は1970年代に日活で幾多の傑作群を残しながら80年代に失速し(と小生は思うのだが)、90年代からは全く作品がない。それどころか、ご当人が事業に躓いて失踪し、その後の行方は杳として知れないのだという。「消えゆく」どころが、疾うに消えてしまった監督なのである。
シネマヴェーラ館主の口上を引く。
さて、新年第一弾は曽根中生監督特集ですが、そのタイトル「消えゆく曽根中生!?」についてひとこと説明をしておきたいと思います。曽根監督が現時点で所在が不明であるということについては周知の事実かと思いますが、このタイトルは別にそのことにひっかけたものではなく、物理的存在としてのフィルムそのものが消えゆくことへの言及なのです。昨年の夏、ある配給会社で大量の35ミリプリントの廃棄処分が行われました。今回上映の曽根作品の何本かは、そうした廃棄対象であったものが、たまたま今回の上映の申し入れをしたため、当面の廃棄処分の猶予を得たものなのです。今後どうなるかは、まったく予断を許しません。
邦画における廃棄処分の進行(すべての配給会社がそうした傾向にあるとは言いませんが)は、洋画における上映環境悪化という状況を、正確に後追いしています。保存のコストや手間隙を考えたときに、古くなった映画をスクリーンで見せることが、ビジネスとして魅力的でないとみなされつつあるのです(だから、誤解してもらうと困るのですが、そうしたビジネス判断として現有する35ミリプリントを廃棄しようとする映画会社に対して、僕らは非難しているわけではないし、誰にもそうした非難をする権利はないのです)。加えて、制作や配給、そして上映における「デジタル化」が、こうした状況に拍車をかけかねません。個人的には、これに対して何らかの運動を起こそうとは思っています。もう少し具体化した時点で、これについても公表するつもりです。すべての映画ファンが、そうした運動に共鳴していただけることを願っております。なるほど、「消えゆく」のは監督本人ではなく、フィルムそのものなのだ。
映画はスクリーンで観てこそ映画なのだと頑なに信じる小生は今や少数派。どころか絶滅危惧種なのだろう。今日は一期一会の心積もりで銀幕に対峙。
太陽のきずあと
東映セントラル
1981
監督/曽根中生
脚本/田中雄二、曽根中生、佐伯俊道、岡田敏夫、縞田七重
出演/金田賢一、貞永敏、田中浩二、三上博史、緒形拳、江波杏子 ほか (口上)不良グループのメンバーである修平は作家の父に深いコンプレックスを抱いていた。そんなある日、別れた母に引き取られた弟・耕治から電話があり、11年ぶりの再会を果たした修平。互いの友人を交えて過ごすようになった二人だが、次第に軋みが生じ始める…。石原裕次郎の「狂った果実」を下敷きに、現代の若者のひりひりするような焦燥感をハードに描く。 滅多に上映されない作品なので心して観たのだが、これは気の抜けた失敗作。下敷きにしたとおぼしい『狂った果実』や、同じく海辺の無軌道な青春を描いた『八月の濡れた砂』など先行作の足許にも及ばない。肝腎の若者たちがてんで絵空事なのは演出が到らないためか、それとも脚本が不首尾なのか。主人公の父を演じる緒形拳やその別れた妻の江波杏子が登場する場面だけが辛うじてサマになるというのでは「青春映画」が泣く。曽根中生の迷走はこの辺から始まっていたのだろうか。
わたしのSEX白書 絶頂度
日活
1976
監督/曽根中生
脚本/白鳥あかね
撮影/萩原憲治
出演/三井マリア、益富信孝、村国守平、芹明香、桑山正一 ほか (口上)三井マリア演ずる大病院の採血係・あけみは、向いのアパートの住人であるストリッパーのヒモ・隼人から娼婦のアルバイトを紹介される。建物が巨大な鉄球で破砕される「ドーン、ドーン」という音を背後に、あけみの性がゆっくりと崩れ始める。繊細な描写を丁寧に重ねてゆくなかに、ふいに新鮮なイメージを紛れ込ませる手つきの冴え、そして曽根独特のアナーキズムの感触を体感せよ。 云わずと知れた曽根監督の最高傑作(のひとつ)。封切間もなく蓮實重彦が口を極めて絶賛した文章を雑誌で目にしてすぐさま観に行ったのだと記憶する。久しぶりに再見して、水も漏らさぬ綿密な演出、画面設計の見事さに改めて舌を巻いた。曽根中生恐るべし。それにしても三井マリアの匂うような美しさはどうだ。一癖あるが憎めないヒモに扮した益富信孝は一世一代の名演技である。クールに突き放すようでいて、監督の視線に作中人物への愛着が滲むのが本作ならではの魅力だろう。
こういうフィルムこそ銀幕の大画面で観なければ始まらない。そう確信した。