1968年、這々の体でシカゴからパリに帰還したジャン・マルティノンのために用意されたのはフランス放送国立管弦楽団の首席指揮者のポストである。
Orchestre national de l'Office de Radiodiffusion Télévision Française という恐ろしく長大な名をもつこのオーケストラは、1934年創設と歴史は浅いが、放送局のオーケストラとしてレパートリーの広さと柔軟な演奏能力を誇っていた楽団。同じくアメリカから戻っていた大指揮者シャルル・ミュンシュの手に暫く委ねられていたが、そのミュンシュが1967年秋に新生のパリ管弦楽団の初代首席指揮者として転出することになり、急遽その後任探しがなされたところ、シカゴでの確執が伝えられたマルティノンに白羽の矢が立って、というような経緯だったのだと推察されよう。ミュンシュとしても、かつてパリ音楽院で教えた愛弟子であるマルティノンを後任として強く推輓したはずである。
水を得た魚という表現はマルティノンのパリ時代にこそ相応しかろう。
フランス放送はレコード会社エラート(Erato)と提携してマルティノンのアルバムを続けざまに制作した。快進撃といってよかろう。マルティノン本人にとってもまさに「リヴェンジ」だったはずだ、シカゴでの「失われた五年間」を取り戻そう、というような。それはもう、遠く極東から遠望しても眩いほどの八面六臂の活躍に思えたほどだ。
フランク: 交響曲+交響変奏曲 (ピアノ/フィリップ・アントルモン)
サン=サーンス: 交響曲 第三番 (オルガン/マリー=クレール・アラン)+「オムファレの糸車」+「死の舞踏」
ピエルネ: 『シダリーズと牧羊神』+ハープ小協奏曲 (ハープ/リリー・ラスキーヌ)+嬉遊曲
デュカ: 『ラ・ペリ』+「魔法使の弟子」+『ポリュークト』序曲
プーランク: オルガン、弦楽、ティンパニのための協奏曲 (オルガン/マリー=クレール・アラン)+「田園の奏楽」(クラヴサン/ロベール・ヴェイロン=ラクロワ)
ハチャトゥリャン: フルート協奏曲 (フルート/ジャン=ピエール・ランパル)
ランドフスキ: 交響曲 第二番+ピアノ協奏曲 第二番 (ピアノ/アニー・ダルコ)
今日はそのなかでも決定的な名演奏を聴くことにしよう。マルティノンの恩師であるアルベール・ルーセルの主要な管弦楽曲を選りすぐったアルバム群、LP時代は四枚に分かれて出たものだ。どのアルバム・カヴァーも目に浮かぶ。
ルーセル:
バレエ組曲 『バッカスとアリアドネ』第一番*、第二番**
交響詩「春の祭のために」***
バレエ音楽『エネアス(アエネアス)』****
小組曲+
バレエ音楽『蜘蛛の饗宴』++
交響曲 第二番**
ジャン・マルティノン指揮
フランス放送国立管弦楽団
1969年12月11~12日****、13、15日**、15、17日***、19日**、20日*
1971年1月14、15日++、16日+
パリ、ラディオ・フランス103スタジオ
ワーナー・ミュージック Erato WPCS-4281/83 (1994)
『バッカスとアリアドネ』はふたつの組曲がそれぞれバレエの第一幕、第二幕に該当する。初めてこのアルバムの日本盤に針を落とし、全曲を通して聴いた日の感銘を今でも忘れない。光彩陸離とはこのことだろう。血涌き肉踊るようなと形容しても少しも誇張にはなるまい。四十年近く前の出来事だ。
このあと日本盤がさっぱり出ないのに業を煮やして、待ち切れずに高価なフランス盤を購入した。当時は輸入盤のほうが高かったのだ。初めて耳にする『エネアス』に心ときめかしたのを思い出す。構えが大きくて、合唱が随所に入って、まるで『ダフニスとクロエ』みたいな大曲なので吃驚したものだ。これが確か世界初録音だったのではなかろうか。久々に聴いて往時の感動がまざまざと甦った。
(終わらないので次につづく)