『ほんとにロージー』の主人公であるロージーと私のつきあいは、ニ十七年前にまでさかのぼります。『ブルックリンの子どもたち、一九四八年八月』と題した、ぼろぼろになった自家製のスケッチブックに登場するのが、私が彼女に触れている最も古い記録です。私はそのときニ十歳で、彼女は十歳でした。私たちは正式に対面したことはありません。もっとも、一度通りですれ違って、「こんちは、ジョンソン!」と挨拶されたことはあります。これにはめんくらいましたが、いかにもロージーらしいとも思いました。彼女はその場で私をでっちあげたのです。彼女は二階の窓から顔色の悪い若者(私)が見ていることに気づいていたに違いありませんが、そのとき以外に彼女が私に注意を向けたという記憶はありません。
ニューヨークの下町であてどなく暮らす貧乏青年の無聊を慰めたのは、天衣無縫でやんちゃでおしゃまで空想好きなひとりの少女だった。モーリス・センダックがエッセイ集『
コールデコット一座 Caldecott & Co.』のなかで自ら記す「ロージー」との出逢いのあらましである。引用したのはその邦訳『センダックの絵本論』(脇明子・島多代訳、岩波書店)。
ロージーとは何者で、私にとっていかなる存在だったのでしょう?[…]
ロージーはその長いうっとうしい時期を持てあましていた手と頭に、仕事を与えてくれたばかりでなく、のちに私の本という本にはいりこむことになる数かずのアイディアで、私のスケッチブックをいっぱいにしてくれました。ロージーは猛烈な子どもで、この世のものだろうとこの世の外のものだろうと、なりたいものなら何にでもなれるその想像力には、感銘を受けずにはいられませんでした。[…]
彼女のゲームは主として映画をもとにしたものでした。彼女は『ノートルダムのせむし男』のチャールズ・ロートンとモーリン・オハラの役を両方いっぺんにやってのけました。それは彼女の最高の出し物のひとつでした。
センダックは通りを隔てたアパートに住むロージーとその仲間たちの遊びにすっかり魅了され、来る日も来る日もその模様をスケッチブックに記録した。
これらのスケッチは未熟で不正確でたどたどしいものですが、当時の私の生活のほかの場所では決して見出せなかった、幸せな活力に満ちています。それらが積み重なって、一人の子どもの大ざっぱな輪郭ができたのが、その後の私のあらゆる登場人物たちのもとになったのでした。私はロージーを愛していました。[…]
ロージーとその遊び仲間、舞台をなす通りと家は、絵本作家となったセンダックの作品に繰り返し登場する。
1960年の絵物語『The Sign on Rosie's Door(ロージーちゃんのひみつ)』はその最も際だった例だろうが、ほかにも主人公は少年にしてあるものの、『ケニーのまど』(1956)も『とおいところへいきたいな』(1957)も、ロージーの世界を色濃く反映した絵本である。彼の言に拠れば、『かいじゅうたちのいるところ』のマックス坊やさえも、ロージーの面影を宿しているのだという。「性を変えたくらいでは、私の主人公のロージーらしさは隠れてしまいはしませんでした」。
(来年につづく)