年末になっていろいろ気になっている。やり残した数多いあれこれ。果たしていない約束。部屋の片づけ。遅々として進まぬ執筆原稿。
2009年もあと一週間を切っている。今年はヘンデルの歿後二百五十年、ハイドンの歿後二百年、メンデルスゾーンの生誕二百年にあたっていた。だからどうという訳ではないが、当ブログでもとりあえず記念日ごとに話題にした。
4月14日
→今日こそヘンデル
5月31日
→百年前のハイドン
…とここまで書いてハタと気づいた。メンデルスゾーンを忘れていた!
2月3日が生誕二百年の記念日だったというのに、すっかり失念して暢気に恵方巻などを頬張っていた。
なんとも申し訳ないことをした。今からでも遅くはない、せめてもの罪滅ぼしに手許のディスクをかき集めて即席の記念演奏会を催そう。
メンデルスゾーン:
劇音楽『真夏の夜の夢』抜粋*
交響曲 第四番 「イタリア」
クラウディオ・アッバード指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
語り/ケネス・ブラナ―*
ソプラノ/シルヴィア・マクネア*
メゾソプラノ/アンゲリカ・キルヒシュラーガー*
エルンスト=ゼンフ合唱団(女声)*
1995年12月31日、ベルリン、フィルハーモニーザール(実況)
1996年7月28日、ロンドン、ストリート・スタジオ1(語り)
Sony SK 62826 (1996)
録音日から推して、これは年末恒例のジルヴェスター・コンツェルトの実況だろう(ブラナーの語りは追加録音)。そもそもベルリン・フィルの「真夏の夜の夢」自体が珍しいし(カラヤンも録音していない筈)、とにかく素晴らしく魅力的な演奏なのだ。全十四曲中十曲の抜粋だが、通して聴くにはこれで充分だろう。今となってはなんとなく影の薄い感のあるアッバード在任期の、これは掬すべき名演ではないだろうか。マクネアとキルヒシュラーガーの女声陣もこよなくチャーミング。フィルアップの「イタリア」がこれまた胸のすくような清々しさ。アッバードの素直な音楽性の勝利である。
メンデルスゾーン:
交響曲 第四番「イタリア」
イーゴリ・マルケヴィチ指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
1970年5月21~24日、東京、世田谷区民会館
fnac 642305 (1993)
ベルリン・フィルのあとではさぞかし聴き劣りするかと思えばさにあらず。音色の美しさでは流石に遠く及ばぬものの、メンデルスゾーンの音楽が孕む躍動感や前進性ではむしろこの演奏にこそ軍配を上げたくなる。モノラル期の誉れ高い名演「イタリア」交響曲の再録音に、自らその名誉指揮者を務めるマルケヴィチは日本フィルを指名して臨んだのだ(同じ一連のセッションで「魔法使の弟子」「三角帽子」「古典交響曲」「ラ・ヴァルス」なども録音された)。わが国のオーケストラがこれほどの自発性と高い完成度を示したのは空前(にしておそらく絶後)の快挙であろう。必携の名盤。
メンデルスゾーン:
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調(第二版)*
スケルツォ(管弦楽版) ~八重奏曲
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調(1844年第一稿)*
ヴァイオリン/イザベル・ファン・クーレン*
レフ・マルキス指揮
ニュー・シンフォニエッタ・アムステルダム
1995年10月、1998年7月、アムステルダム、ワールセ聖堂
BIS CD 935 (1998)
これは貴重なアルバムだ。最初の「ニ短調」協奏曲を耳にした人は多くないだろう。1950年代にメニューインが蘇演するまで永らく埋もれていた。1822~23年、というから作曲者は十三、四歳。稚拙なところのない堅実な書法に驚かされる。「スケルツォ」は弦楽八重奏曲の第三楽章の管弦楽版。なんでも第一交響曲の第三楽章の代替案として作曲者自身が編曲したものだという。そして三曲目は誰もが知る「ホ短調」協奏曲の、誰も知らなかった「第一稿」の世界初録音。ほうぼう微妙に違っていて興味が尽きない。すっきりクール・ビューティなファン・クーレンの演奏が好もしい。