ベルリンの壁が崩壊してから二十年。NHKのTVでも立て続けにドキュメンタリーを放映しているので、感慨を新たにした方も少なくなかろう。
今日はそれを記念し回顧する国際シンポジウムをじっくり聴講した。一昨日、忘れがたいチュルリョーニス演奏を披露したランズベルギス氏も、実はこの催しの来賓として招かれ四度目の来日を果たしたのである。
青山学院大学公開講演会
「冷戦終焉20年 鉄のカーテン解体から、ベルリンの壁崩壊へ」
13:00~ 青山学院大学 総合研究所ビル12階大会議室
出席者/
ヴィータウタス・ランズベルギス (音楽学者、元リトアニア国家元首、欧州議会議員)
ヴェラ・ランズフェルト (作家、元ドイツ国会議員)
ヤドヴィガ・スタニスキス (元ポーランド「連帯」指導者、ワルシャワ大学教授)
アンドラーシュ・オプラトカ (ハンガリー、ジュラ・アンドラーシュ大学教授、ウィーン大学教授) ほか
1989年はフランス革命二百年にあたっていた。この記念すべき年に、誰もが予想だにしなかった激震が全ヨーロッパを揺れ動かしたのである。
ゴルバチョフ改革のあおりを喰らってポーランド、ハンガリーの共産党独裁政権が相次いで瓦解し、ハンガリーのネーメト新政権が果敢にも中立国オーストリアとの国境を開放、往来の自由化に踏み切った。「鉄のカーテン」の一角が綻んだ瞬間である。この機を逃さず8月19日、「汎ヨーロッパ・ピクニック」と称して東ドイツ民衆がどっとハンガリーに押し寄せ、ここからオーストリア経由で西ドイツへと脱出した。
十日後の8月29日、ソ連支配下のバルト三国ではリトアニアのヴィリニュスからエストニアのタリンまで六百キロを、二百万人が手に手を繋ぐ「人間の鎖」が敢行された。独裁者二人が秘密裏にバルト三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約締結五十周年を期してなされた抗議行動である。
ホーネッカー独裁政権にはもはや東ドイツ全土で頻発する民主化運動を抑える力はなく、10月18日には退陣を余儀なくされた。こうなるともう止まらない。11月9日の東西ドイツ間通行認可による「ベルリンの壁」の無効化、さらには壁そのものの崩壊へと、時代は雪崩を打つように、すべてを呑み込む怒濤さながらに変転した。
そして、11月16日からはチェコスロヴァキアの「ビロード革命」が始まる。
今日はその当事者たちが顔を揃え、強大な国家権力に非暴力で立ち向かい、無血革命を成し遂げた事の次第を、それぞれの体験と立場から生き生きと回顧した。
(まだ書きかけ)