身近に接した人だからかえって書きにくい。その晩年をつぶさに知悉していたとしても、全生涯となれば話は別。評伝をまとめるのは至難の業だ。ましてその最後の十年がそれ以前の生涯と途轍もなくかけ離れていたとしたら…
津野海太郎
したくないことはしない 植草甚一の青春
新潮社
2009
著者は云うまでもなく、植草甚一の一連の本を晶文社で手掛けた担当編集者その人である。ブームの仕掛人といってもよい。晩年の十二年間、最も間近にその謦咳に触れる機会を得た。にもかかわらず、ではなく、だからこそ、書き辛かったに違いない。これを上梓するのに三十年の歳月が経過する必要があったのである。
標題に「青春」の文字があるように、本書は津野さんにとっても未知の植草甚一の少年期と青年期を掘り起こす試みである。植草自身が述懐する「コンプレックス」の正体を突き止め、生家の没落や学業の挫折などが絡み合った「学歴コンプレックス」が彼のなかに根深く巣喰っていたと推察する。
彼の同時代芸術への飽くなき探索の出発点に、若い頃に傾倒した村山知義の芸術論集『現代の芸術と未来の芸術』(1924)があったという指摘には目から鱗。
映画界に身を置いたのは偶然の行きがかりからで、実は「新しい海外小説の優れた『読み手』」というありようこそが植草の本領だったと喝破するあたりは本書の白眉だろう。それが職業として成立しなかったところにどうやら植草の長きにわたる不遇と不機嫌の原因があったらしい。
小林信彦や常盤新平が夙に書き残している「理不尽なまでに怒りっぽく喧嘩早い、厄介な中年ライター」としての植草甚一が、最後の最後に「物わかりのよい、人好きのするファンキー爺さん」へと鮮やかに変身する件りは、読んでいて胸のつかえがすうっとおりる気がした。
誰よりも植草甚一を間近に知る筆者が敢えて「見知らぬ他人」の評伝を書くようなクールな文体を採ったこと、それでもなお滲み出る愛情の大きさにうたれる一冊。それにしても、津野海太郎=平野甲賀コンビの「植草本」が新潮社から刊行されてしまうところに、晶文社の陥った苦境を否応なく垣間見てしまう。