一夜明けて十一月の始まり。
目覚めた寝床で昨日からの宿題の小論考のどうやら「正しい」らしい書き出しを思いつく。これでなんとかなりそうだ。そうでないと困るのであるが。
気分を一新するべく、起き抜けに音楽をかける。月の始まりの景気づけの一曲だ。
ヤナーチェク:
シンフォニエッタ
オットー・クレンペラー指揮
コンセルトヘバウ管弦楽団
1951年1月11日、アムステルダム、コンセルトヘバウ(実況)
Archiphon ARC 101 (1992)
クレンペラーとヤナーチェクとは意表を突く組み合わせにみえるかも知れないがそうではない。ヤナーチェクと親交のあった若き日のクレンペラーは、歌劇『イェヌーファ』を逸早く取り上げ、『カーチャ・カバノヴァー』をドイツ初演するなど、その紹介に努めた。ベルリンのクロル歌劇場時代も『死者の家から』を上演している。
この「シンフォニエッタ」についても、1926年12月というから、プラハでヴァーツラフ・タリフが初演してからわずか半年後に、ヴィースバーデンで逸早くドイツ初演を行っているのである。翌27年3月にニューヨークでアメリカ初演を振ったのもクレンペラー、9月にはクロル歌劇場でベルリン初演を果たしている。「シンフォニエッタ」は同時代音楽の旗手時代のクレンペラーにとって因縁浅からぬ曲、というか、むしろ自家薬籠中の十八番だったのではなかろうか。
それから四半世紀が経って、なお同時代音楽(シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ヒンデミット、トッホ、ショスタコーヴィチ)をレパートリーに含めていたクレンペラーが確信に満ちた懐の深いヤナーチェクを聴かせる。値千金の演奏とはこのことだ。
これでスッキリ気分転換。
引き続き、同じCDからその前日に演奏されたバルトークも聴いてみよう。
バルトーク(シェルイ補筆):
ヴィオラ協奏曲
ヴィオラ/ウィリアム・プリムローズ
オットー・クレンペラー指揮
コンセルトヘバウ管弦楽団
1951年1月10日、アムステルダム、コンセルトヘバウ(実況)
最後の数小節を残してほぼ仕上がっていた第三ピアノ協奏曲とは対照的に、ヴィオラ協奏曲はバルトークの歿した時点ではオーケストレーションもなされぬ混乱した未定稿にすぎなかった。
門人のティボール・シェルイが草稿を整理してやっとの思いで完成させたのが1949年、この年の12月2日、発注者プリムローズの独奏、アンタル・ドラーティの指揮で世界初演された。クレンペラーとの共演はそのほぼ一年後。プリムローズが各地を巡演した初演行脚の一環としてなされた(やはり同年のエルネスト・ブール指揮によるパリ初演の実況録音も残されている)。
さらにもう一曲、これもこれまでありそうでなかったレパートリー。
シェーンベルク:
浄夜
オットー・クレンペラー指揮
コンセルトヘバウ管弦楽団
1955年7月7日、アムステルダム、コンセルトヘバウ(実況)
1920年代すでにこの「浄夜」や交響詩「ペレアスとメリザンド」を演奏会で取り上げていたのに、クレンペラーにシェーンベルクの正規録音は皆無。この実況録音も放送局のテープはとっくに消去されてしまい、熱心なファンが自宅でエアチェック録音したものという。ともあれ現存唯一のクレンペラーのシェーンベルク。
驚愕した。途轍もない没入ぶりに心底たじろぐ。もう恥も外聞もあらばこそという、怒涛のような感情移入。あの冷徹そうなクレンペラーにもこんな一面があったのだ。