執筆やら私事やらに追われて、重要な展覧会が始まっているのになかなか出掛けられない。それではならじと一念発起して電車を乗り継いで井の頭線の永福町へ。初めて訪れる場所なので地図を見い見い十五分ほど歩くと、住宅地のなかに佇む杉並区立郷土博物館に到着。
江戸時代の立派な長屋門をくぐると小ぢんまりした建物が姿を現す。ここで10月17日から必見の展覧会がひっそりと催されている。
「
大田黒元雄の足跡 西洋音楽への水先案内人」がそれだ。副題に「没後30年特別展」とある。1979年に八十六歳で長逝した大田黒の業績を偲ぶ恰好の機会であり、プロコフィエフとの交友やバレエ・リュスの紹介など、彼の先駆的な仕事に興味を抱く小生には見逃せない展示なのである。
展示室は手狭だが、内容は精選されていて裨益するところが少なくない。ご遺族から提供されたとおぼしい貴重な写真(複写)の数々。そのなかに1918年8月1日、大森の大田黒邸へ別れの挨拶に訪れたプロコフィエフが大田黒夫妻と一緒に写した記念写真も含まれている。倫敦留学前に親戚と撮った写真などはこれが初公開ではなかろうか。
百冊を優に超える大田黒の著作のうち主要なものが並んでいるのも見逃せない。しかも展示の多くは大田黒自身の旧蔵本なのがなにより貴重である(日本近代音楽館所蔵)。大正期に大森の自邸で催したサロン・コンサート(ピアノの夕)やレコード・コンサート(蓄音機近代樂音樂會)のプログラムが見られるのも嬉しい。ささやかな試みだったが、そこではドビュッシーが、シベリウスが、パーシー・グレインジャーが日本で初めて鳴り響いたのである。
大田黒は趣味で写真にも手を染めていた。資生堂の福原兄弟とともに「寫眞藝術」同人として1920年代初頭に瞠目すべき風景連作を撮ったことは今や写真史にも隠れなき功績である。その稀少なオリジナル・プリントのあれこれを久しぶりに拝めたのもこよなき眼福だった。
会期中にあと何度か再訪する心づもりなので、今日はほんの下見の気分。それでも一時間近く展示室にいて飽かず眺めた。
偉大なるかな大田黒。自由に生き、旺盛に学び、流暢に書き、あり余る知識を惜しげもなく披歴した。もしも彼がいなかったならば今日のわれわれは存在しないも同然だ。もはやそのことに誰も気づきはしないのだけれども。