今しがた知ったのだが、加藤和彦が亡くなったそうだ。それも自殺なのだという。
われわれの世代にとってはいつも気になる音楽家だった。フォーク・クルセダーズ、ミカ・バンド以来、常に時代に数歩先んじているような存在だった。あれは1973年だったか、『ライト・ミュージック』という雑誌で細野晴臣と対談した折りに、「今ボクが注目しているのは
レギーっていう音楽なんです」と語っていた。もちろん当時の読者にはなんのことだか皆目わからない。するとその翌年、クラプトンが「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をヒットさせ「レゲエ」という音楽を世界中に認知させた。そうか、あのとき推奨していた「レギー」ってこれなんだなと深く頷いたものだ。
実演に触れる機会は長いことなかった。ご本人を間近に見たのはただ一回。近所で映画撮影があって、野次馬のひとりとして見物していたら松たか子が加藤和彦と立ち話する場面だった。確か『四月物語』というフィルムだったと思う。出番はほんの少しだったようだが、すらりと背の高いスマートでスタイリッシュな紳士だった。
加藤和彦のライヴを見聞したのはようやく2006年になってから。場所はかのハイドパーク。といっても英京ではなく、狭山の稲荷山公園のことなのだが(倫敦のハイドパークのほうがお似合いだろう)。第二回「ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル」の二日目のトリとして登場し、「
ポーク・クルセダーズ」なる臨時編成のバンド(+北山修、坂崎幸之助) で往年の「帰ってきたヨッパライ」「悲しくてやりきれない」「イムジン河」を唄った。「帰ってきたヨッパライ」はなんとボサノヴァ風のアレンジだった!(その日のレヴューは
→ここ)
あの晩が最初で最後となってしまうとは。