昨夜はニジンスキーのスキャン画像と拙文の訂正箇所を送信したら、どっと疲れがこみ上げてきて、そのまま居間で眠り込んでしまった。
朝早く目覚めると、もう昨日の画像と訂正版テクストとを組み合わせ綺麗にレイアクトしたゲラが届いているではないか。送信時刻は三時半近く。デザイナー氏は殆ど徹夜だったに違いない。こうして図版が入ると、拙文もどうにかこうにか読者に意図が伝わりそうにも思えてきた。でも改めて読み返すとまだまだ綻びが散見されるので、補綴作業を施す。
それも十時前には終了したので、さっさとゲラを戻してしまう。これで心身ともに荷が軽くなった。やっと人心地つけそうだ。
引き続きゲリンガスを聴いてみよう。昨日のチャイコフスキーが素晴らしかったので。
"Paul Hindemith: Complete Cello Concertos"
ヒンデミット:
チェロと管弦楽のための協奏曲 (1916)
室内音楽 第三番 (1925)
チェロ協奏曲 (1940)
チェロ/ダーヴィド・ゲリンガス
ヴェルナー・アンドレアス・アルベルト指揮
クィーンズランド交響楽団
1995年8月14~19日、ブリズベイン、フェリー・ロード
cpo 999 375-2 (1997)
どんな楽器のための音楽も器用に万遍なく書いたヒンデミットだが、チェロとはどうやら相思相愛の間柄には到らなかった。馴染のない協奏曲三曲を続けざまに聴いてみて、そんな感想を禁じえない。いずれも手堅く纏まった曲なのにチェロでなければならぬ必然性や明確な主張に乏しいのだ。長く弦楽四重奏団のヴィオラ奏者だった彼にとってチェロは「すぐお隣の」楽器だったのにちょっと不思議な気がする。
フランクフルト音楽院在学中の協奏曲はブラームスやシュトラウスの影響下で書法の練達に励む優等生の趣。それから十年もしないうちに彼のスタイルは定まり、20年代のカンマームジークでは十二分にザッハリヒ。十人からなる小編成オケの書法は簡潔ながら玄妙。三曲目はすでに米亡命中の作でクーセヴィツキー&ボストン響のタングルウッド音楽祭の依頼による。古拙な味わいと重厚な構成感の絶妙なブレンドがいかにも円熟期のヒンデミットだが、それ以上でも以下でもなし。
どの曲をとってみてもああチェロを聴いたという醍醐味が希薄なのは否定できない。ゲリンガスの妙技をもってしても、この欠陥は隠し切れなかったとみえる。
これではどうにも欲求不満気味なのでもう一枚。
"Russische Kammermusik"
シュニトケ: チェロ・ソナタ* (1978)
グバイドゥーリナ: イン・クローチェ** (1979)
ヴィクトル・ススリン: チェロと打楽器のためのソナタ*** (1983)
ペルト: 鏡のなかの鏡**** (1978)
チェロ/ダーヴィド・ゲリンガス
ピアノ/タチヤーナ・シャーツ* ****
オルガン/エドガー・クラップ**
打楽器/マルクス・シュテーケラー、ウィリアム・ジーン***
1985年12月13日、1986年5月15日、1986年5月17日、1990年4月23日、ミュンヘン
Koch Schwann 310 091 (1991)
(まだ聴きかけ)