(9月16日のつづき)
恋の悩みを恨みがましく訴える「悲しきラヴ・ソング」の二重唱がほとんどそっくりそのままの形で、救世主の到来を寿ぐ聖なる合唱曲に変じてしまう。驚きである。
バロック時代にはこうした自作から他の作品への転用は日常茶飯であり、かの大バッハもカンタータから受難曲やオラトリオへ、あるいは協奏曲からカンタータへ、と楽曲を盛んに使い回ししていた(そうでもしないと需要に応じきれなかったろう)事実は遍く知られている。だからヘンデルの場合も別段びっくりすることも目くじらを立てることもないのだが、こうして聴き比べてみると、両ヴァージョンの違いの大きさ、いや、音楽そのものは瓜ふたつなのであるが、その用途の余りの隔たりに、思わず言葉を失ってしまうのは小生だけだろうか。節操もなく、という言葉が脳裏をよぎる。
専門家の見解に拠れば、ヘンデルは次のような経緯で作曲した。幸いそれぞれの自筆譜が現存し、作曲の日付が記入されているので時系列は確実だ。
1741年7月1日:
二重唱曲「暁に微笑むその花は Quel fior che all'alba ride」 HWV192 完成
1741年7月3日:
二重唱曲「いいえ、私はあなたがたを信じない No, di voi non vo' fidarmi」 HWV189 完成
1741年8月22日~9月14日:
オラトリオ『メサイア Messiah』 HWV 56 作曲
1742年4月13日:
オラトリオ『メサイア』 初演 (ダブリン、グレイト・ミュージック・ホール)
(まだ書きかけ)