別棟の書庫が溢れかへつてゐたので不要不急な書目を地元の古書肆に引き取つて貰つた。相当な冊数だつたのだが評価額はきつかり一萬圓也。まあそんな処であらうか。汗だく埃塗れになつて夕方近く帰宅すると家人が今日は此れから東京へ出掛け国立劇場で文楽を観るのださうな。演目を尋ねたら珍しくも沙翁の当り狂言の翻案物なのだと云ふ。俄かに興味が湧き小生も同行させて貰ふことにした。
国立劇場 小劇場
18:30〜
天変斯止嵐后晴 (てんぺすとあらしのちはれ)
原作=威廉 莎士比亜
脚本・演出=山田庄一
作曲=鶴澤清治
大夫=
竹本千歳大夫
竹本文字久大夫
竹本相子大夫
豊竹咲甫大夫
豊竹呂勢大夫 ほか
三味線=
竹澤宗助
鶴澤清介
鶴澤清治
鶴澤清馗 ほか
琴=
鶴澤清志郎 ほか
人形役割=
阿蘇左衛門藤則(プロスぺロー)=吉田玉女
美登里(ミランダ)=桐竹勘十郎
英理彦(エアリアル)=吉田蓑二郎
泥亀丸(キャリバン)=吉田文司
春太郎(ファーディナンド)=吉田和生
筑紫大領秋実(アロンゾー)=吉田玉也
日田権左衛門(ゴンザーロー)=吉田勘市
刑部景隆(アントーニオ)=吉田玉佳
茶坊主珍才(ステファノー)=吉田勘緑 ほか
人形配役からもすぐ想像がつくやうに沙翁の原作の設定と登場人物を殆ど其の儘に残し、ミラノ大公国を阿蘇國に、ナポリ王国を筑紫國に置き換へ、主役の左衛門は阿蘇國を実弟の刑部景隆に簒奪され南海の孤島に漂着した俊寛を思はせる人物で、愛娘の美登里と共に艱難十二年を過ごしたと云ふ設定である。阿蘇左衛門は唐土伝来の妖術に精通し、密教の護摩壇のやうな結界に火を焚き大嵐を引き起こし、通りがゝつた御座船を沈めて宿敵たちを首尾よく島へと引き寄せる。
配下の英理彦は思ふさま宙を飛び姿を消すことの出来る妖精なのだが、半ば天女のやうな半ば迦陵頻伽のやうな摩訶不思議な姿をして居る。恩人の阿蘇左衛門に奉公しつつ年季が明け自由の身になれるのを待ち望む若者である。泥亀丸はこの島で生まれた愚かな怪物で、悪態をつき乍ら阿蘇左衛門に使役される。こちらは原作にある醜怪な面影は薄く、可愛らしい河童のやうな姿で登場する。
冒頭が嵐に揉まれて立ち騒ぐ甲板の場ではなく、荒海を背景に三味線と琴の面々が舞台にずらり居並んで凄まじい暴風雨の様を音曲のみで髣髴とさせる趣向なのがちょつと意外。次の場面からは物語が専ら島の浜辺、密林の中、そして阿蘇左衛門の潜む巌屋の場で展開されるのは原作ほゞ其の儘であつた。
翻案と云ふ観点からすれば相応の出来映へと云へるだらう。筋書の骨子が変わらぬばかりか、殆どの登場人物が首尾良く九州人に置き換へられ、原作の台詞回しの多くが巧みに織り込まれて居る。但し二時間足らずと云ふ上演時間の制約からか、或ひは文楽自体に内在する作劇術の限界なのかは定かでないが、人物の描かれ方がどうにも上つ面を撫でるやうで内面を窺ひ知ることが出来ない。主役である阿蘇左衛門が復讐の鬼と化し乍ら、いともあつさり宿敵たちを赦して了ふやうに思へるのは問題ではなからうか。
詩的な想像力を以て沙翁が生き生きと造型した異形の手下たち、英理彦と泥亀丸とが此処では実態のない架空の存在にしか見えないのは如何にも残念である。反面、美登里と春太郎のやうな複雑な内面をもたぬ人物(おぼこ娘と晴朗な若君)に就いては、一途に愛し合ふ純真無垢な心情がひしひしと伝はつてきて好もしい。
(明日につづく)