今になって岩波文庫にアーサー・ケストラーが入った。それも科学史関係の著作ではなく、かつては反共プロパガンダとして喧伝された「悪名高い」問題作である。些か感慨なしとはしない。ジョージ・オーウェルの『動物農場』といい、この小説といい、刊行から半世紀以上を経てようやく古典としての価値が定まったということなのか。
アーサー・ケストラー
中島賢二訳
真昼の暗黒
岩波文庫
2009
本書のどこにもロシアのロの字も、ソ連のソの字も出てこないが、これがスターリン粛清下のソヴィエトの悪夢のような「現実」に肉薄した半ドキュメンタリー小説として執筆され、そのように読まれることを想定しているのは明らかだ。主人公のルバショフ(どうみてもロシア人!)はかつて革命の功労者であり、長くその国で指導的な地位にあったが今や未決囚として獄中にある。
ケストラーはスペイン内戦でフランコ軍に捕えられ死刑を宣告され辛くも釈放された体験があり、1930年代初頭にはドイツ共産党員としてソ連各地を旅したこともあるので、ルバショフを取り巻く牢内のディテールが生々しく息づいている。さすがにソルジェニーツィンの諸作には及ばぬものの、粛清のさなか同時代にソ連の政治犯の日常をここまでリアルに描写できたケストラーの想像力と筆力に驚くほかない。
本書の主人公ルバショフのモデルが、1937年に逮捕され翌年に公開裁判ののち処刑されたブハーリンだったことは、当時の読者にとってどうやら了解済だったようだが、後年ケストラー自身によれば、「物の考え方は、ニコライ・ブハーリンをモデルとした。人柄と風貌は、レオン・トロツキーとカール・ラデックを合わせて作った」とのことであり、獄中の細々した細部や囚人の心理状態については自らのスペインでの投獄体験が投影されていることは言うまでもない。
ともあれ、ブハーリンら筋金入りの革命家たちが公開裁判の場でいとも易々と前非を悔いて、犯してもいない罪状を進んで自白するに至る内面の葛藤を描こうとする意図は、本書でかなりの程度まで成し遂げられたといえるだろう。いずれにせよ1940年という早い時期にかくも洞察的な「預言の書」が刊行されていた事実には誰しも瞠目させられよう。
翻訳は実に読みやすい。旧訳(岡本成蹊訳、角川文庫、1960)も悪くはなかったが、一読して迫真性がひと回り違う気がした。訳者の中島さんは病床にあって迫りくる死と格闘しながら訳出を進めたのだそうで、これが遺作になった由。オーウェルの『一九八四年』に心酔し、そこに記された近未来社会のイメージの源泉のひとつということで本書に関心を抱き新訳を決意されたとのことだ。
ともあれ、2009年のわれわれが政治信条に関わりなく本書を手に取ることになったそのとき、当の全体主義国家は跡形もなく消滅してしまっている。むしろ、だからこそ『真昼の暗黒』の文学としての真価が今ようやく問われつつあるのかもしれない。