所用で東京へ出向いた帰り、乗換駅の西船橋で接続がうまくいかず二十分以上も待たされる羽目になった。どうにも所在ないので構内の書店で時間を潰そうと、さしたる当てもなく新書のコーナーに佇んだ途端、いきなり電撃を喰らった。福岡伸一さんの新作が積まれているではないか。迂闊にも気づかなかったのだが、奥付をみると刊行からもう一箇月近くが経過している。
福岡伸一
世界は分けてもわからない
講談社現代新書
2009
慌てて一冊をひったくるように手に取ってレジに走った。あとは電車を待つホームで、車中で揺られながら、帰宅後はソファや絨毯に体を預けて夢中で読み耽った。
必須アミノ酸であるトリプトファンに関する専門学会が北イタリアのパドヴァで開催される。出席した「私」は発表が済むとそっと会場を抜け出し、バスに乗って一路ヴェネツィアを目指す。目的はただひとつ、コッレール美術館に掛かる一枚のカルパッチョの油彩画を観ることだ。その題名は "Le Cortegiane"。「コルテジャーネ」とは本来はやんごとなき「宮廷女性たち」のことだったはずだが、ルネサンス期のイタリアでは専ら「高級娼婦」を意味していた。須賀敦子の文章に惹かれ、ヴェネツィアの豪奢と倦怠が生み出した魅惑的な
この絵を一目見てみたいと念じていたのである。
あるとき「私」はレンタカーを借りてロサンゼルス郊外のフリーウェイを北上する。小高い丘を登りつめた所に息を呑むような白亜の複合文化施設が聳え立つ。石油成金の巨万の富が築いた目も眩むような豪勢な美の館ゲティ・センター。「悪趣味ぎりぎりのようでありながら否定のしようのない壮麗さ」に圧倒されながら、一枚の絵の前に辿り着く。これまたカルパッチョの『潟での狩』という奇妙な作品だ(
→これ)。
驚いたことに、この二枚の絵はもともとひとつの作品だった。縦に長い一枚の板絵の近景と遠景とがいつの頃か鋸で上下に分断されてしまったのだ(
→ご覧のとおりである)。ゲティ所蔵の狩の絵の下端に唐突に百合の花が描かれている謎も、この発見によって氷解した。
イタリア・ルネサンス絵画によほど詳しい者しか知らないこの挿話が分子生物学者の福岡伸一さんの興味を惹きつけたのはどうしてか。それについてはどうか近所の書店に駆け込んで本書を手にして是非とも確かめていただきたい。
後半は一転して分子生物学の大家が陥った恐るべき陥穽をめぐるミステリアスな犯罪心理ドラマ。アーサー・ケストラーの『サンバガエルの謎』を凌ぐ手に汗握る展開だ。しかもそれが最後に前半で繰り出された話題と見事に接合されて幕となる。
とにかくスリリングで想像力をかきてててやまぬ高度に刺激的な一冊である。
詩的な文章の類い稀な美しさ、意表を突く構成の妙、繰り出される事実の驚天動地の面白さ、生命の本質についての含蓄に満ちた示唆。すべてにおいて福岡さんのこれまでの著作を更に上回る驚嘆すべき著作だ。これはもう全人類がこぞって読まねばならない。思うにノーベル文学賞はむしろこういう筆者にこそ与えられるべきなのではないだろうか。