(承前)
そこで慌てて手許にあった "
The Operas of Monteverdi" という小冊子を紐解いてみた。倫敦のイングリッシュ・ナショナル・オペラが1992年に出したハンディなガイドブックである。
[前略] ヴェネツィアの舞台のための作曲を通して、モンテヴェルディは首尾よく規範と先例を創り出し、彼の弟子と後継者たち(とりわけカヴァッリ)が1640年代と50年代にそれを採り入れ、発展させた。時あたかもヴェネツィアのオペラが規格化へと向かいつつあった。一方でまず、アリアと完結した形式への更なる探索が進み、次第にオペラの構成が小曲の連なりと化して、遂には作品そのものを支配(むしろ規制すら)するようになる。他方では、深刻な場面と滑稽な場面、沈思と行動、重唱と独唱の間のバランスへの配慮が、カヴァッリやチェスティの作品でも大いに模倣された。『ウリッセ』と『ポッペア』で用いられた「愛の二重唱」でオペラを締め括る手法は広く一般化した。
ここからわれわれが導かれる皮肉な結論は、17世紀オペラ体験にたいそう似つかわしいものである。『ポッペア』の楽譜手稿はふたつ伝えられているが、どちらもモンテヴェルディ存命中のものではない。ヴェネツィア版、ナポリ版、どちらにも作曲家の名前は記されておらず、いずれもネローネとポッペアの愛の二重唱 "Pur ti miro, Pur ti godo, Pur ti stringo, Pur t'annodo" の官能的な恍惚の昂まりで幕となる。しかしながら、ヴェネツィア初演のための「シナリオ」に拠れば、「ネローネは厳かにポッペアの戴冠を見守り、ポッペアはローマ市民と元老院の名のもとに、執政官と護民官から冠を授かる。〈愛〉 もまた同様に、(ヴィーナスと三美神とキューピッドに伴われて)天上から降り立ち、地上の美の女神としてのポッペアに冠を授ける。そしてオペラは終わる」。この二重唱(および現状の音楽の他のいくつかの部分)がモンテヴェルディの手になるか否かか重大な問題となってくるのだが、複数の作曲家の共同制作とみるほうが『ポッペア』当時の慣習に適っていることは間違いあるまい。作者帰属でのわれわれの蒙昧ぶりはさらに、当時のオペラに関してわれわれがいかに無知か、われわれに伝えられたものがいかに乏しいかを痛感させる。モンテヴェルディのオペラの数作は失われてしまい、『ウリッセ』のような大傑作の上演すら、奇蹟的にオーストリアの図書館に遺された唯一の手稿により辛うじて可能になったという事実を噛みしめると粛然となる。
これはイアン・フェンロン氏の論考「モンテヴェルディ、オペラ、歴史 Monteverdi, Opera and History」の一節。
つまりこういうことだろう。『ポッペア』終幕の結末を、『ウリッセ』同様に主役ふたりの愛の二重唱、すなわち "Pur ti miro" で締め括ること自体は晩年のモンテヴェルディの意図に沿うものだっただろうし、次世代のオペラ作家や観客たちの望むところでもあった。しかしながら、現存する初演時の梗概(シナリオ)では 〈愛〉 の女神がポッペアに戴冠して幕となる結末であり、愛の二重唱には言及がない(現存する数種類の台本にも含まれていない)。しかも "Pur ti miro" とほぼ同一の歌詞が別人の手になる楽曲にも用いられているところから、この部分はもともとの『ポッペア』には含まれておらず、初演後に(モンテヴェルディの歿後かもしれない)増補改訂がなされた際に別人の作品から流用されたと推測するのが理に適っていよう。
こうした他者の介入による加筆補填は『ポッペア』の他のさまざまな箇所にも認められるため、もはやこのオペラをモンテヴェルディの単独作と看做すことはできない。それは当時は普通に行われた複数の作曲家による合作と考えたほうが実情に近いのではないか──と、まあ、こういった趣旨である。なるほど筋は通っている。
手許にある数種のCDでは Virgin から出たリチャード・ヒコックス盤(1990)の解説がこの問題に触れている。筆者はクリフォード・バートレットという人。
手稿譜と台本との重大な食い違いのひとつが幕切れの二重唱である。台本にはこれが含まれておらず、アモーレ、ヴェーネレ(ヴィーナス)、そしてキューピッドたちの合唱で終わる。ヴェネツィア版ではこの箇所を短縮し、ナポリ版では拡大している。しかしながら、どちらの手稿譜でも大詰めはポッペアとネローネの二重唱なのである。その台詞はベネデット・フェッラーリのオペラ『王の羊飼 Il pastor regio』の1641年版に由来する。ブゼネッロが提供した台本の抽象的な神々よりも、生身の恋人たちでオペラを終わらせたいと作曲家が願ったと想像するほうが、われわれの知り得たモンテヴェルディ像にしっくり合致しよう。フェッラーリのオペラ [の音楽] が現存しないため、この二重唱の音楽こそフェッラーリの手になるとする説もかつて主張されたことがあったが、近年の研究ではむしろフランチェスコ・サクラーティを作者とする説が有力視される。
もうひとつ、近年における『ポッペア』の刊行譜(1989)の校訂者であるアラン・カーティスが自ら指揮して録音した全曲盤(Fonit Cetra/1980、ヴェネツィア、フェニーチェ座)における、カーティス本人が記したライナーノーツ。
モンテヴェルディの意図を完全に復元することは、自筆譜が奇蹟的に発見でもされない限り不可能であろう。カヴァッリが企てたカットと転調は、大部分が彼の妻の手で筆写されたヴェネツィア版手稿に見出されるものだが、そこには明らかに歌手たちの主張に譲歩しようとする意図が窺われるので、躊躇なく無視しても差し支えない。ただし、そこにはより早い段階でなされた変更を窺わせる証拠もみられる。[オペラ冒頭の] 「シンフォニア」はカヴァッリが他の作品で使用したシンフォニアに手を加えた別稿にすぎない(この理由からわれわれはナポリ版のシンフォニアを選択した)。「リトルネッロ」の上声部も同様にのちの加筆部分である。オットーネ役の歌唱部分の書き直しは、とりわけ二重唱において重大な変更をもたらしている。おそらく病弱の故に、すでに老境に達していたモンテヴェルディは終幕の戴冠式の場を他の作曲家に委ねた。この場面はのちに配役の変更に伴ってさらに書き直されてしまった。いずれにせよ、そのスタイルはモンテヴェルディのものではなく、若い同時代人であり、作曲家と [台本作家の] ブゼネッロの友人でもあったベネデット・フェッラーリの様式である。さらに附言すると、終幕の二重唱 ”Pur ti miro" の歌詞もまたフェッラーリの手になるもので、ブゼネッロのものではない。
ご覧のとおりである。『ポッペアの戴冠』は作曲当初からモンテヴェルディ以外の複数の作曲家が関与しており、とりわけ終幕の二重唱、わが鍾愛の "Pur ti miro" については、その真の作者がフェッラーリなのかサクラーティなのかはさて措いて、どうにもモンテヴェルディの自作とは看做し得ない。あらゆる状況証拠がそのように示唆している…らしい。
(次回につづく)