(前回のつづき)
野口久光さんの長いキャリアにおける多岐にわたる業績のなかで最も広く人口に膾炙しているのは、1930年代中頃から始められた映画ポスターのお仕事であろう。東和商事の図案宣伝部スタッフとして、ヨーロッパから陸続と輸入される新作洋画に、ごく限られたモノクロのスチル写真を元に四色刷の美麗なポスターを仕上げるのが、若き日の野口さんの正真正銘の「本業」だったのである。
ルノワールの『どん底』(1935/日本公開1937)、カルネの『ジェニイの家』(1936/日本公開1938)、デュヴィヴィエの『望郷』(1937/日本公開1939)など、野口さんならではの卓抜したデッサン力と仄かな抒情味に彩られたそれらのエレガントな洋画ポスター(例えば
→ここ)は、好戦的な気分の日増しに高まりゆくこの国の街角でどのように眺められていたのだろうか。
戦時中を上海で過ごした野口さんは深い悔恨を胸に帰還を果たし、戦後も東和映画で旺盛に洋画ポスターの制作にいそしんでいる。
戦前・戦中・戦後の洋画が纏めてどっと輸入された1950年代初頭のポスターにも、『天井桟敷の人々』(1945/日本公開1952)、『第三の男』(1949/1952公開)、『禁じられた遊び』(1951/日本公開1953)など、忘れがたい秀作がそれこそ枚挙に暇がない。タイトル文字や惹句の手書き文字のスタイリッシュな洗練ぶりにもいっそうの磨きがかかっている。
数多ある野口さんの手掛けた映画ポスターのなかでとりわけ傑出した一枚を挙げるなら、やはりこれを推すほかあるまい。フランソワ・トリュフォー監督の出世作、日本初公開時のオリジナル・ポスターである(
→これ)。
これは飛びきり喚起力に満ちた素晴らしいポスターだ。黒い徳利セーターの襟を鼻の辺りまで引きあげ、いかにも不安そうな眼差しでどこかを見遣るひとりの少年の上半身。あとはニュートラルな一面の壁。その余白に大きく「
大人は判ってくれない」と縦書きされた手書き文字。「
判」一文字だけ赤文字になっているのが心憎い配慮である。上方に小さく配された惹句の並びも、まるで壁の落書きのような手書き文字の原題 Les Quatre Cents Coups の配置もぴたり完璧だ。
よるべない身の「非行少年」アントワーヌ・ドワネルの不安な心情を単刀直入に、しかも濃やかな共感をもって描き出したポスター史上に燦然と輝く傑作である。
1962年に初来日を果たしたトリュフォー監督はこのポスターを一目見るなりすっかり気に入り、これを持ち帰ってオフィスの壁に大切に飾っていたという。その証拠に、直後に撮られたオムニバス映画『二十歳の恋』のトリュフォー篇(「アントワーヌとコレット」)にはこのポスター(の一部)が登場しているのだ(
→ここ)。
もっともこのように称揚されるのを野口さんご自身はきっと好まれないだろう。
歴史に残る幾多の秀逸なポスターを残したのみならず、また映画と音楽に関する当代屈指の目利きであり、誰にも負けぬ幅広く正確な知見をもちながら、決して自らをひけらかすことなく、そのエンサイクロペディア的な博識を誰もがわかる平易な言葉で万人に向けて投げかけた。しかも、あれだけ多くの文章を永年ほうぼうの媒体に書き綴りながら、それらを纏まった著作として世に問おうとしなかった。名誉や栄達を求めない無欲そのものの潔い人生だった。
今日は野口久光さんの第百回目の誕生日である。