(昨日のつづき)
どこでどうやって入手したのか、さっぱり思い出せないのだが、このウクライナ語版『動物農場』には見返しに鉛筆で "
£75" という英価格の値付けがあるので、まず間違いなくロンドンのブックフェアか古本屋で手にしたのであろう。
さすがに店主はその価値がよくわかっていたようで、見返しにはさらに鉛筆で
1st Ukrainian edition
(6pp Orwell intro specially written for this edition) と添え書きがしてある。おおかた「これは珍しいお値打品じゃよ、倫敦でも滅多に目にしない」「六頁にわたるオーウェルの序文はこれでしか読めないぞ」などと吹き込まれたに相違なかろう。インパクトの強い表紙絵も購入に及んだ一因だったかもしれない。いずれにせよ90年代の終わり頃のことだろう。
それから十年ほどの間、このウクライナ語版のことをすっかり失念していたのだが、リック・ゲコスキーの『トールキンのガウン』を読んでいて、ようやくその稀少性について教えられた次第である。もっとも片言隻句も解読できないのでは、宝の持ち腐れだといわれても反論できないのだが。
ところで、そもそも何故ウクライナ語版なのか。英語版オリジナルの二年後という早い時期に、こともあろうにウクライナ人向けに『動物農場』が刊行されたのには何か理由がありそうだ。言うまでもなくウクライナは当時はソ連邦の一部であり、このような「反ソ的」な小説が出版できるはずもない。現物を矯めつ眇めつ点検してみたが、刊行場所がどこにも明記されていないのも大いに怪しい。このエディションにはどうやら秘められた裏事情があるように思われるのだ。
このたびの岩波文庫版『動物農場』によって、謎は一気に氷解した。
ここにはなんとその「
ウクライナ語版のための序文」そのものが「付録2」としてまるごと併録されているのだ(因みに「付録1」はオーウェルが英語初版用に執筆して、結局不採用となった「
出版の自由」と題する序文)。
なんと行き届いた配慮であろう。それだけでもこの新訳は値千金なのであるが、さらに素晴らしいのは訳者の川端康雄さんがその「ウクライナ語版のための序文」に付した懇切な訳註である。その一部を引用しよう。
本稿は『動物農場』のウクライナ語版のために一九四七年三月に書かれた。その版は第二次世界大戦終結後に英米の管理下にあったドイツの難民キャンプでくらすウクライナ人にむけられたもので、一九四七年十一月にミュンヘンで刊行、ウクライナ難民協会が頒布した。これを企画し、みずから翻訳したアイハー・シェフチェンコ(Ihor Szewczenko)の一九四七年三月七日付のオーウェル宛の手紙で説明されているように、この難民はかつて十月革命を支持したものの、「スターリンの反革命のボナパルティスム」と「ロシア人によるウクライナ人の民族主義的な搾取」に異を唱えるようになった農民や労働者たちだった。これらの人びとのために、シェフチェンコはオーウェルに序文の特別寄稿を求めた。この序文の英語の原文は失われた。この訳文は、ウクライナ語からの英訳(ピーター・デイヴィソン編による全集版およびペンギン版所収の版)から訳出したものである。オーウェルはこのウクライナ語版の印税を要求しなかった。なるほど、そういう事情が絡んでいたのか、ドイツに難を逃れたウクライナ人を読者対象とした刊行だったというわけである。それでようやく合点がいった。ところで訳註ではそのあとすぐ、オーウェルが親友アーサー・ケストラーに宛てた1947年9月20日付の私信が引用される。
彼ら[ウクライナの難民たち]は最近わたしの『動物農場』の翻訳を出しました。印刷も本の造りもまずまずで……翻訳の出来もいいようです。彼らから最近得た情報によると、ミュンヘンのアメリカ軍当局がそのウクライナ語版を千五百部没収し、ソ連側の本国送還係に引き渡してしまったとのこと。それでも、およそ二千部がすでに難民の手に渡ってしまったようです。うわあ、これは気になる記述だなあ。ひょっとして、難民キャンプのウクライナ人たちは亡命の希望が叶えられず、ソ連軍の手に引き渡されそのまま本国送還となったのではあるまいか。もしもそうだとすれば所持品の『動物農場』を没収されるどころでは済むまい。おそらくは祖国を裏切ったスパイとして、彼らはひとり残らず……。
それにしても、こうして目の前にある一冊のウクライナ語版『動物農場』の旧蔵者はいったいどういう人物で、それがどのような経路を辿ってロンドンの古本屋の店頭にまで辿り着いたのであろうか。もしも、とここで夢想せぬわけにはいかない。もしも、この書物に言葉を発することができたならば、危機一髪、辛くも虎口を脱した命がけの冒険譚を語り出すことであろう。