つい先日たまたま上野駅構内の本屋で見つけた新刊文庫本を東京への往還の車中でゆるゆると読む。さしたる理由もなしに、何気なく手に取ったものだ。
たいした問題じゃないが
イギリス・コラム傑作選
行方昭夫編訳
岩波文庫
2009
標題にそう謳ってあるとおり、どの一篇をとっても実にとるにたらない話題ばかり。出したと思い込んでいた手紙がポケットから忽然と出現する驚愕を記した「配達されなかった手紙」、乞食にうっかり銀貨を恵んでしまい、タクシー代が払えずその乞食から借金するという可笑しな話「二人の金持」、時間にルーズな者のほうが実は勤勉な人生を送ると強弁する「時間厳守は悪風だ」、凡人たるわれらが日記をつける効能はあるか否かを問う「日記の習慣」など三十二の掌篇が並ぶ。
作者は順にA・G・ガードナー、E・V・ルーカス、ロバート・リンド、そしてA・A・ミルン。いずれも20世紀初頭にエッセイの名手(今風にいうとコラムニスト)として一世を風靡したというが、四人目のミルンが『熊のプーさん』で辛うじて名を残しているほかは今は殆ど忘れ去られた書き手たちだ。
どれもこれも実用性という見地からは見事になんの役にも立ちはしない。いやむしろ、その「役に立たなさ加減」が天晴れ。どうでもいい不要不急の話題を面白おかしく語る話術の妙や、皮肉でウィッティなものの見方ににんまりしながら読めばそれで充分。いかにも英国的な Englishness が横溢する愉しい読み物なのだ。
その昔、訳者の行方(なめかた)さんの授業に一年間だけ出たことがある。なのでここでもやはり「行方先生」とお呼びすべきだろう。先生の「解説」によれば、かつて日本でもこの四人のエッセイは頻繁に大学受験に出題されたのだといい、学習参考書にも例文としてよく載っていたそうな。そういえばリンドの名は高校で読まされた英文解釈の副読本で目にした憶えが微かにある。その結果、不幸にして日本では彼らのエッセイは専ら受験生御用達と低くみられ、ちゃんとした翻訳も出ないまま、やがて誰からも見向きもされなくなった。
それを惜しんだ先生の発案で、このたび編まれた独自のアンソロジーがこれ。岩波文庫としてはちょっと異色のセレクションだが、こういうものを出せるのが岩波文庫ならではの懐の深さともいえる。目先の景気変動や国際情勢に右往左往する世知辛い現代だからこそ、瑣事を扱いつつも思慮深く悠然と思考する「大人のエッセイ」が必要なのではないか。
「まあいいからお読みなさい、どれも大した問題ぢゃあないけどね」と皮肉っぽく目を細める行方先生の顔が目に浮かぶようだ。