次も寝床での鑑賞なので当否は保証しないが、これもすっかり気に入ったので書いておこう。
先日のこと夫婦揃っての安楽死という最期を遂げた名匠
エドワード・ダウンズ卿はプロコフィエフを得意としていたが、録音の機会は滅多に回って来なかったとおぼしい。その代わりプロコフィエフの師匠、というか、天才少年の家庭教師(!)として最初の手ほどきをした
レインゴリド・グリエール Рейнгольд Морицович Глиэр (1875-1956)の第三交響曲(1912)を聴いてみる。
グリエールのこの交響曲は「
イリヤ・ムーロメツ」と副題が附されていて、むしろ四楽章形式の長大な交響詩というべき標題音楽である。シュトラウスの「アルプス交響曲」や「家庭交響曲」の親類、同じロシアでいえばリムスキー=コルサコフの第二交響曲「アンタール」に近しい存在といえようか。いずれにせよ後期ロマン派ならではの長大な絢爛たる音の絵巻である。
イリヤ・ムーロメツとは十~十一世紀のウラジーミル大公の治世に活躍した伝説上の英雄であり、交響曲もその事績を下敷きに展開される。日本人にはとんと馴染のないお話だが、
筒井康隆に同名の小説がある(『イリヤ・ムウロメツ』1985)のでひょっとしてご存じの方もおられるかもしれない。力自慢の豪傑イリヤの勇ましい戦勲が野放図に物語られる。露西亜版の源平合戦、あるいは「太平記」とでもいおうか。
このグリエールの第三交響曲は今でこそ見向きもされないが、かつてはラフマニノフの第二交響曲と並んでチャイコフスキー以降の代表的作例として世界的に知られていた。その証拠に戦前のSP時代
ストコフスキーがこれをフィラデルフィア管弦楽団と録音しており、戦後も同じストコフスキーがステレオで再録音したほか、シェルヘン、フリッチャイ、オーマンディらが相次いで録音を残している。
ジョゼフ・コーネルは自ら制作した無声映画の伴奏音楽としてこの曲を指定している。
ただし、全曲が七十分以上を要する大曲なので、上述のSP録音に際してストコフスキーが拵えた短縮版(四十五分程度)が専ら親しまれ、LP時代にこれをオリジナルの全曲版で録音したのはシェルヘンだけだったと記憶する。一般の聴衆には一時間を超える長尺交響曲は耐えがたく、ラフマニノフの第二番と同様に原典版は忌避されたのであろう。ロシア音楽好きの小生とて例外でなく、ストコフスキー版に拠った絢爛豪華なオーマンディ盤があればそれで事足りていた。
ところがどうだろう。
グリエール:
交響曲 第三番「イリヤ・ムーロメツ」
エドワード・ダウンズ卿指揮
BBCフィルハーモニー管弦楽団
1991年9月5~6日、マンチェスター、新放送会館コンサート・ホール
Chandos CHAN 9041 (1991)
(まだ書きかけ)