指揮者の若杉弘さんが亡くなられたという。
たった今、家人からそう告げられた。ほうぼうのニュースで報じられているという。昨秋から体調を崩され、先般の新国立劇場でのオペラ『ムツェンスクのマクベス夫人』の指揮も降板したと聞いて、よほど具合が悪いのではと危惧していた矢先の訃報である。享年七十四。指揮者としては早すぎる死といわねばなるまい。
若杉さんの指揮に初めて接したのは1970年1月26日。当時の彼が常任指揮者を務めていた読売日響の定期演奏会である。初来日したマルタ・アルヘリッチが独奏者として登場し、プロコフィエフの第三協奏曲を弾くというので、高校生の分際で大枚を叩いて定期会員になったのである。
会場は東京文化会館。演目は次のとおりだったと記憶する。
ワーグナー: 『トリスタンとイゾルデ』前奏曲と愛の死
プロコフィエフ: ピアノ協奏曲 第三番*
ブラームス: 交響曲 第二番
ピアノ/マルタ・アルゲリッヒ*
若杉弘指揮 読売日本交響楽団
うわあ懐かしい。もう三十九年も前のこととは信じがたい。それほどに記憶は鮮明だ。痩身の若杉さんが些か力んで繰り出す腕の仕草が今も目に浮かぶようだ。あのときマエストロはまだ三十四歳だったのだ。
思い出を書きだしたらきりがない。のちに東京都交響楽団の常任指揮者になられて、ジャン・コクトーに捧げる一夜とか、ラヴェルの『スペインの時』と『子供と魔法』のニ本立とか、目の醒めるような鮮やかなプロを組んだこと、東京室内歌劇場を率いて幾多の忘れがたい舞台を繰り広げたことなど、その印象は終生ずっと消えることなく残ることだろう。極め付は1997年3月の歌舞伎仕立て『ポッペアの戴冠』の奇蹟としか思えぬ上演、今も目と耳に焼きついて離れませんよ、若杉さん!
手許にある若杉さんのディスクはごく限られている。そうだ、今夜はこれを聴いて敬愛するマエストロを偲ぶことにしよう。
リヒャルト・シュトラウス:
バレエ音楽『ヨセフの伝説』
若杉弘指揮
東京都交響楽団
1987年7月31日~8月2日、狭山市市民会館
DENON 33CO-2050 (1988)