生憎の曇天ゆゑに部分日蝕を観ること能はず。上空がやや暗くなつたかなといふ程度で天変の感触はまるきり味わへなかつたのは残念。
小生の脳裏に残る最もセンセーショナルな日蝕は1958年4月19日の金環蝕である。六歳にも満たない幼稚園生にそんな記憶が残つたのかと問はれれば、かすかに残つてゐるのだと正直に答へるほかない。
記録に拠ればこのとき日本では九州南部でのみ金環蝕が観測され、関東地方では部分日蝕に過ぎなかつたやうであるが、我が家は何故かこの年だけ父の転勤で佐賀市に住んでゐたので、まるでイスラムの三日月のやうに細くなつた太陽を拝むことができたのである。
空を仰いだ記憶は残念ながら消滅してしまつたが、街路樹の木漏れ日がそこいらぢゆうの地面に小さな三日月形を描いたのを確かに目にした憶へがあるのだ。ひよつとしてこれは捏造の記憶なのか。
なんでも三年後の2012年5月12日にも金環蝕があるさうで、そのときは東京でも観測できるのだといふ。その日まで何としても生きてゐたいものだ。