このところ執筆のため百年前のベルリンに思いを馳せていて、2009年の「現在」がすっかりお留守になっている。世事に疎いとはこのことだ。
つい先ほどのこと、家人から「英国の著名な指揮者が奥さんの病気を苦にしてスイスで一緒に自殺したというニュースが英字紙に載っている」と聞かされ、それで初めてエドワード・ダウンズ卿 Sir Edward Downes の死を知った次第である。
時事通信が配信した記事から引かせていただく。
15日付タイムズなど英主要紙によると、英国の著名指揮者エドワード・ダウンズ氏(85)と妻の元バレリーナ、ジョーンさん(74)がスイス・チューリヒの「安楽死」病院で10日に死亡した。
ジョーンさんは末期がん。一方、ダウンズ氏は病弱でほとんど目が見えず、耳が聞こえなくなるのも近い状態だったが、不治の病ではなかった。遺族の声明によると、夫妻は深刻な病気で苦悩し続けるより一緒に死ぬことを決意、安楽死の認められているスイスの病院に行ったという。
タイムズ紙は、2人がともに安楽死を認められたことを受け、「自殺(安楽死)クリニックで同じ方法を選ぶ夫婦が増えるのではないか」と、懸念を込めて1面トップで伝えている。
家人から手渡された Times 紙には確かに一面に大きな扱いで "Bowing out -- together" と見出しが附されている。「一緒にサヨナラ」とでもいうのだろうか。
記事に拠ればスイスでは第二次大戦中から法律で安楽死を認めており、スイス人以外の希望者にも安楽死を斡旋する Dignitas なる団体が活動しているのだという。ダウンズ夫妻もこの「ディグニタス」の力添えで死を迎えるに到ったのだそうだ。自らも重病で音楽活動がままならず、五十四年も連れ添った愛妻の迫りくる死に覚悟を決めたのであろう。これはこれで勇気のある結末ではなかろうか。部外者には何も言えないけれども。
あまり知られていないが、エドワード・ダウンズ卿はプロコフィエフ復興に尽くした影の功績者でもある。シドニー・オペラ・ハウスが開場した際、杮落とし公演で『戦争と平和』を指揮したほか、長く埋もれていた劇付随音楽『エヴゲニー・オネーギン』(1936)に着目し、その欠落部分の草稿を発掘し、リーナ未亡人と協力して完全版の世界初演・初録音に漕ぎつけた。昨年、倫敦のプロコフィエフ財団を訪問した際も、総責任者のノエル・マン女史がエドワード・ダウンズ卿の名を何度も口にされていたのを小生は忘れていない。
今夜は追悼としてその『エヴゲニー・オネーギン』全曲盤をかけようとも考えたが、二時間を優に超える分量なので後日に回し、代わりに同じくプロコフィエフの珍しい実況録音で彼を偲ぶことにした。
From "Enchanted Christmas"
プロコフィエフ:
組曲『三つのオレンジへの恋』
おかしな道連れ~魔法使チェリオとファタ・モルガーナのカルタ遊び~行進曲~スケルツォ~王子と王女~飛翔
エドワード・ダウンズ卿
BBCフィルハーモニック
2003年2月7日、マンチェスター、ブリッジウォーター・ホール(実況)
BBC Music BBC MM300 (2008)