目覚めるとなんだか梅雨が明けたような晴天。こんな日に在宅はつまらない。昼から英会話だという家人に連れ添って外出。自転車で途中まで同道し、そのあとは坂道を上ったり下りたり、途中で水分を補給したりして四十五分かけて西千葉の千葉大学附属図書館に到着。
滝のように滴る汗を拭いながら建物に入るとすぐ左に小ぢんまりした殺風景な展示スペースがある。
ここで月末まで徳永康元先生の旧蔵書(のごく一部)が展観されている。生前の先生は数万冊を上回る蔵書の行く末を案じ、早稲田大学や千葉大学の関係者と話をつめておられた。ご専門のハンガリー文学コレクションは前者に、ユーラシア文献とフィン・ウラル文献は後者に、というのがそのあらましだったという。2003年に亡くなられた時点で、「これらの大変に貴重な文献がまったく無秩序に少なくとも二棟の書庫と母屋二部屋の書斎兼寝室にいっぱい詰まっていた」(金子亨氏)とのことだ。
今日ここに展観されるのは小生のような門外漢には縁のない言語学文献が中心なのであるが、最初の展示ケースに『ブダペストの古本屋』などのご著書と、あの懐かしい黒い風呂敷の現物(奥様お手製の最後の風呂敷である由)が陳列されているのに胸がじんとなる。
素人には高嶺の花の(というか価値がサッパリ判らない)書物が殆どだが、なかに一冊、扉に「ネフスキイ」の蔵書印が捺された研究書が含まれているのに目が釘付けになった(Gruntzel, Josef.
Entwurf einer vergleichenden Grammatik der altaischen Sprache, Leipzig, 1895)。
一口にユーラシア文献というが、その間口は恐ろしく広く、該博な研究書の類から、さまざまな少数民族と言語に関する書物、学者や探検家の旅行記など実に多種多様。素人目にも面白そうだったのは、有名な榎本武揚のシベリア往還日記を原文のまま覆刻した一冊、実業家で茶人の山田寅次郎(宗有)のトルコ見聞録『土耳古画観』(1911)、堀越喜博なる著者の挿絵入り本『満洲看板往来』(1940)など。探検家アルセーニエフの著作も『デルス・ウザーラ』などロシア語原著が三冊。
ごくささやかな展示ではあるが、真の碩学たる徳永先生の広大無辺な好奇心の一端に触れる絶好の機会だった。
それにしても、どの蔵書にも背と表紙に遠慮容赦なくベッタリ粘着シートでラベルが貼られていて、愛書精神の欠片もない図書館員の無神経さを如実に物語っていた。
帰路は昼下がりの炎天下、ペダルを漕ぐのが辛い。帰着するなり水分補給。