忘れない内に書き留めておこう。
昨夕はあのあと松濤から渋谷、新宿経由で初台のオペラシティへと赴いた。ここで珍しくピアノ・リサイタルを聴くことにした。何故ならそれは凡百のリサイタルとは訳が違ふからだ。
ワレリー・アファナシエフ
音樂劇「展覧會の繪」
東京オペラシティ、コンサートホール
19:00〜
ドビュッシー: 雪の上の足跡 ~前奏曲集 第一集より
プロコフィエフ:間の抜けたアレグロ ~「サルカズム」より
ショスタコーヴィチ: 前奏曲 第十四番 変ホ短調 ~「二十四の前奏曲」より
プロコフィエフ: 嵐のやうに ~「サルカズム」より
ドビュッシー: 沈める寺 ~前奏曲集 第一集より
(休憩)
ムソルグスキー=アファナシエフ: 音樂劇「展覧會の繪」
アファナシエフと云へば「展覧會の繪」と相場が決まつてゐる。極め付と云ふ奴だ。
無論それに異論はない。今からちやうど十五年前の1994年、「東京の夏」音楽祭の為に来日したアファナシエフは、自ら書き下ろした音楽劇(ミュージカル・シアター)「展覧会の絵」を奏し且つ演じて我々の度肝を抜いたからである。
流石に細部の記憶は薄れて了つたが、其のときに受けた衝撃は間違ひ無く鮮烈きはまりないものであつた。
舞台の上手には一寸した円卓と肘掛椅子が置かれ、卓上にはヴォトカの壜があつたやうに憶へてゐる。アルコオル中毒に成り果てたムソルグスキーがそこに坐してゐて、傍らには無愛想な看護婦が付き添ふ。
中央の少し下手寄りにはグランドピアノがあつて、勿論そこでアファナシエフが奏するのだが、彼はやをら立ち上がつては芝居に加はり、ムソルグスキーの境遇にコメントしたり、生涯と時代を概観したりするのである。
十五年ぶりの「展覧會の繪」はどうだつたか。
まづリサイタル前半が秀逸。ムソルグスキーの衣鉢を継ぐドビュッシー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチの三人の楽曲を綺麗にシムメトリーに配列し、しかも劈頭の「雪の上の足跡」は「プロムナアド」に、掉尾の「沈める寺」は「キエフの大門」にそれぞれ対応するといふ念の入りやう。
しかもアファナシエフはどの曲も頗るピクチャレスクに、恰も情景が眼に浮かぶやうに奏したものだから、ここ迄がまるでミニチュア版「展覧會の繪」であるかの如く聴こゑるのに吃驚した。既に舞台上手には円卓と肘掛椅子が設へられ、ヴォトカや葡萄酒が卓上に置かれてゐたが、此等の道具立は前半では特に用ひられることはない。
休憩を挟んで後半は愈々音楽劇の始まりだ。
ピアニストとして登場したアファナシエフはその儘「プロムナアド」と「小人(グノムス)」を至極真面目に弾いたあと中断し、大儀さうに立ち上がると如何にも草臥れたといふ様子で肘掛椅子にどつかと腰を下ろす。そしておもむろにワインを賞味し、ヴォトカをグラスに注いでグイと呑み乾した。さうか、今から始まるのは十五年前と違ひ、純然たる独り芝居なのだとやうやく気付く。
ヴォトカを一気呑みしたあと「此れこそ露西亜人の呑み方だ、途中のプロセスはどうでもよく、結果がすべて。酒の色香に拘る佛蘭西人とは正反対なのさ」と呟く。此れはムソルグスキーの台詞なのか、アファナシエフの独白なのか。そのどちらともとれるところが今回の独り芝居の妙味なのだ。
そのあと「第二プロムナアド」「古城」とあつてまた独白。「ヴェッキオ・カステッロときた! 古い城。でも演奏の度に城は建て直す必要があるんだ。ベートーヴェンだつて弾く毎に新しい音楽になる。《死者トトモニ
生者ノ言葉デ Cum mortuis in lingua
viva》といふ訳さ」 。おやおや、此れはアファナシエフ自らの表現者としてのクレドではあるまいか。
「第三プロムナアド」「テュイルリーの庭」「ブィドロ(ビドウォ)」のあと、激越な口調で、「ビドウォ、ビドウォ、さあ重荷を背負つて歩くのだ、これが人生だ」といふやうな意味の台詞を吐く。アファナシエフは明らかに此の曲のなかに牛車の描写以上の深刻なメッセージを嗅ぎ取つてゐるのだ。
以下、アファナシエフは「プロムナアド」が回帰する毎に、其れに先立つてピアノから立ち上がり、或は椅子に坐り込んで独白する。其の内容は次第にムソルグスキーの生涯から離れて、現代に於ける藝術のあるべき姿に対するアファナシエフ自身の信念の吐露の色合ひを強めていく。「藝術だけが歴史を正当に擁護できるのだ」と彼は喝破しさへする。
堂々として構への大きい終曲「キエフの大門」が了はつても、聴衆はまるで金縛りに遭つたやうに誰一人拍手できない。
ピアノの蓋をパタンと閉めたアファナシエフは再び肘掛椅子に精根尽きたといふ有様でへたり込んだ。そして無言の内に呑み残したヴォトカをグイツと一息に呑み乾し瞑目して天を仰ぎ、深い溜息を吐いたところで暗転。
素晴らしい! 大した役者ぶりであつた。
今回は全くの独り芝居である分、十五年前の舞台に較べて更に一貫性と求心力が加はり、ムソルグスキーとアファナシエフとが殆ど一体化して仕舞つて、百年以上に及ぶ露西亜藝術家の懊悩を通観するかの如き趣を呈してゐた。
十五年前の舞台では、演奏が終はるや否や、袖から看護婦が登場してアファナシエフをがつしり押さへつけて拉致するといふやうな演出だつたと記憶する。其の趣向も頗る面白かつたが、今回の諦念と安堵とが混じり合つたやうな暗転のエンディングも秀逸。かういふ舞台をぬけぬけと成立させてしまふ男は、音楽界広しと云へどもアファナシエフの外には一人も居るまい。全く以て凄い人物である。