よほど疲れていたのだろう、目覚ましを仕掛けておかなかったので九時過ぎまで起きられなかった。
熱い珈琲を流し込んで覚醒。さあ今日はどう過ごそうか。
曇天だが薄日が射している。天気はどうにかもちそうだ。英会話に出掛けるという家人と一緒にとりあえず家を出る。
新宿まで来る車中で、そうだ、あの展覧会を観なければ、と思い立つ。そこで山手線に乗り換え渋谷で下車。東急村通りから栄通りへと進み、右に折れて鍋島公園の脇を抜けると内藤廣設計のコンクリート造りの建物が見えてくる。ギャラリーTOMである。期待が膨らむ。
村山知義と三匹の小熊さん
(村山治江さんの口上)
1984年に創設されたギャラリーТОМは、このたび開館25周年を記念して、ながらくビデオ版のみ頒布されていた村山籌子・村山知義の共作のアニメーション『三匹の小熊さん』のDVD版を発行することにいたしました。
この展覧会は、その発行を記念して、『子供之友』誌(婦人之友社)に1925年から28年にかけて連載された『三匹のこぐまさん』シリーズとDVD上映、原作の紹介、そして原作から生まれた2本の紙芝居を紹介して、籌子・知義の仕事に焦点をあて、業績を顕彰しようとするものです。
籌子(旧姓・岡内)と知義は1924年に結婚しますが、籌子が1946年に他界するまで、二人は『子供之友』誌などを舞台に、大ぜいの子どもたちの夢をはぐくむ幾多の作品を共作しています。『三匹のこぐまさん』やアニメーションは、その独創的な仕事の一例です。
今回の展示は、二人の作品のうちのわずかなものですが、『三匹のこぐまさん』の仕事を通じて籌子と知義の絵ばなしの豊穣な世界の扉を開けていただけたらと念じております。
会場はとてもシンプル。DVDになったアニメをモニター上映するほかは、アニメの先行作である『子供之友』連載のシリーズの掲載ページ、婦人之友社に残る原画(全部は揃わない)、さらに1986年に刊行された絵本版(晩年の堀内誠一が手を加えたもの)の三つを壁に比較展示してある。これが今回の展覧会のメインで、あとは中二階に上がったところに、同主題のヴァリアントである戦後の紙芝居とその原画、別室に晩年の絵本『ぼくとTOM』の原画が並ぶ。
日本のアニメ草創期の稀少な作品である『三匹の小熊さん』(1931)については、ここギャラリーTOMでかつて紹介上映されたことがあり、婦人之友社から出たヴィデオも架蔵しているのだが、モニターに映し出されるDVD映像からは目が離せない。知義のタッチをうまく生かした動画のウィッティな味わいと、御都合主義の物語を自ら愉しんでいるらしい籌子の日本人離れしたストーリーテリングに、今更ながら目を瞠る思いだ。
1920-30年代のトウキョウでかくも都会的に垢抜けた児童文化が開花したのはまさしく奇蹟である。同時代のラダやチャペック、ド・ブリュノフに比べて些かも遜色がないものだ。カズコ&トモヨシの天才に脱帽するしかない。迷うことなくDVDを購める。友人の分も含めて三枚。
壁の展示では、初めて観る雑誌連載の原画(婦人之友社所蔵/カラーコピー)に瞠目させられた。なにしろ修正が全くみられないのである。
登場する動物たちを活写するクールな描線はいささかの迷いもなく、建築家の図面のように思うさま正確に引かれている。説明的な情景描写や余計な小道具は一切描かれず、最小限のイメージが最大限の効果をもたらす。見えない余白に確固たる空間が生まれるのは村山のイラストレーションの真骨頂。当時の日本人が誰ひとり真似できなかった離れ技なのだ。
興味深かったのは、原画に施された水彩による着色部分に「色の濃淡のムラはなくすように」という意味の印刷所宛ての註記がほうぼうに書き込まれていたこと。
村山の子供のためのイラストレーションの醍醐味は、情緒を消し去ったクールな描線と、それとは裏腹のニュアンス豊かな賦彩との絶妙な取り合わせにある、とつねづね思っていたのだが、作者自身は彩色からも「手作り」の味わいを極力なくそうと目論んでいたらしいのだ。
小生は遙か後年に出された堀内誠一のアート・ディレクションに拠る絵本『三びきのこぐまさん』におけるフラットで鮮やかすぎる着彩に違和感を憶え、どうにも気に染まなかったのだが、してみるとこれはこれで村山の想定した本来の姿に近いということにもなりそうだ。
じっくり拝見しても三十分ほどで見終わるささやかな展示だった。DVDを手にしてすぐお暇するつもりだったのだが、受付に居られた山本ゆきみさんに二三質問したのを皮切りに延々話し込んでしまった。小生はかつて村山が自分用に拵えたスクラップ・ブックの一冊を古本屋で発掘し、このギャラリーに寄託したままになっている。いつかテーマを明確化したうえで村山を詳しく調べてみたいものだ。
五時になってしまったので慌ててギャラリーを辞去。その足で渋谷駅に取って返し、新宿を経て初台へと向かう。