なんとなく体調が思わしくない。週末に強行軍で長野まで日帰りで往還し、五時間もしゃべり通しだったのがいけなかった。老体に鞭打つのはもうやめにしよう。
一昨日の日曜日に半分近く進んだ「ロシア絵本」についての注文原稿の続きを書き終えてホッと一息つく。珍しく締切の一日前に脱稿できたのが嬉しい。ただし予定の紙数をかなりオーヴァーしているので、大幅に刈り込むことになるかもしれない。でもいいのだ。とにかくこれで一安心。
ベートーヴェン:
交響曲 第九番
ソプラノ/リン・ドーソン
コントラルト/ヤルト・ファン・ネス
テノール/アンソニー・ロルフ・ジョンソン
バス/エイケ・ウィルム・スフルテ
グルベンキアン合唱団
フランス・ブリュッヘン指揮
18世紀管弦楽団
1992年11月、ユトレヒト
Philips 438 158-2 (1993)
世の中に「第九」ほど嫌な音楽はない。最終楽章を耳にするとおぞけが走る。とにかく音楽以外のメッセージが先走って押しつけがましく声高に叫ぶのには耐えられない。ショスタコーヴィチの「第五」もまあ似たようなものだが、あちらには「これは本心ぢゃあありませんよ」の気配があるぶん可愛げがあり、こちらは心底本気であるらしいだけに始末に負えない。ファナティック。恐ろしい。
そういう人間にとって、耐えられる「第九」の演奏はシューリヒトとシェルヘン(実況)のふたつだけだった。前者は冷静沈着、後者はデフォルメと誇張によって「第九」のおぞましい陥穽から逃れることができた。
今日はじめて耳にしたこのブリュッヘン盤には心底驚いた。あらゆる余分な思い入れを排し、ひたすらベートーヴェンの音楽に寄り添うのみ。終楽章が純粋に音楽として鳴った初の「第九」だったのではないか。その意図を汲んだ各ソロイストの歌唱にも好感がもてるし、なにより合唱がひたすら美しい。