久し振りに一日のんびり過ごそうと目論んでいたら、そうは問屋が卸さず、散らかし放題だった部屋の片づけを厳命される。
本と雑誌とCDが至る所でフルヘッヘンドしたる状態。足の踏み場もあらばこそ。居間と書庫を往復し、不要なもの、不急なもの、別置しても構わないもの、手元に置きたいものをせっせと選り分ける。夕食を挟んで十時間ほど格闘するが、とても終わりそうもない。汗だく、埃まみれ。もう疲労困憊だ。
草臥れ果てて、最後は音楽で締め括ろう。
サン=サーンス:
アルジェリア組曲 (1880)
喜歌劇 「黄色い姫君」 (1872)*
ソプラノ/マリア・コスタンツァ・ノチェンティーニ*
テノール/カルロ・アッレマーノ*
フランシス・トラヴィス指揮
スイス・イタリア管弦楽団
1999年6月1日、ルガーノ、スイス放送局楽堂
1996年1月13日、同上(実況)*
Chandos CHAN 9837 (2000)
サン=サーンスに「黄色い姫君 La Princesse jaune」なる日本物のオペレッタが存在する事実は、その序曲が時たま奏されることで承知していたが、その全曲盤が出ていたとは知らなんだ。
日本を舞台にした喜歌劇としばしば紹介されるが、実はさに非ず。舞台は終始オランダである。日本に憧れを抱く青年画家が恋人そっちのけで絵の中の日本娘(「黄色い姫君」)にぞっこん惚れ込んだ挙句、麻薬で夢心地になり、恋人を日本娘と取り違えて口説く…といった粗筋。ほうぼうに似非日本語が散りばめられ、「うつ せみし かみに」「たゑね ば はれいて」「あさ なげくきみ さかりいて」「わが こる きみ」といった具合。出鱈目なりにどことなく意味ありげに響くところが面白い。
サン=サーンスの音楽はあちこち五音音階を用いて東洋風を醸すが、贔屓目にみてもせいぜいが擬中国といったところ。二十年後の「蝶々夫人」のような日本への拘りはみられない。まあ、なんというか、無邪気で他愛ない音楽である。