セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュスが歴史的な第一回公演をパリで催したのは1909年5月19日のことだ。
このときシャトレ座に居合わせた日本人はいただろうか。たまたまパリに滞在中の外交官や商社員などで、この歴史的瞬間を体験した者がいなかったとは断言できない。しかしながら、もし仮にそうであっても、その感想を書き留めておこうと考えた者はひとりも存在しなかった。
管見に拠れば、バレエ・リュスの観劇記録をリアルタイムで書き記した最初の日本人は、画家の石井柏亭(1882~1955)だろうと思われる。石井が初めて欧州に旅した折り、1912年6月のことである。驚いたことに、彼はこのときパリのシャトレ座、すなわち三年前のバレエ・リュス初興行と同じ劇場でニジンスキーの「牧神の午後」の世界初演(八公演のうちの一夜)を観ている。しかもその印象を的確な筆致で記録してくれた。
ニジンスキーの踊る姿をとどめた動く映像は一秒たりとも存在ない。バレエ・リュスではその種の記録を一切残さないのが習わしだった。二十年間も存続したにも係わらず、肝腎のダンスそのものは映像としてドキュメントされておらず、殆ど実態がわからないに等しいのだ。
したがって、会場に足を運び、舞台をつぶさに実見した者の書き遺した記録(日記、手紙、回想、あるいはデッサンなど)はまさに値千金、かけがえない価値を有する。それらこそがバレエ・リュス研究の「一次史料」なのである。
この連載では幸運にもバレエ・リュスの舞台に生で接する機会を得た日本人の観劇記録を発掘し、年代を追ってそれらを紹介し、検討していく。バレエ・リュス生誕百年を記念して日本人がなし得るささやかなイヴェントである。
先に当ブログでこう予告した。予告したからには実行に移さねばならない。
そこで懇意にしている「古書日月堂」のHPの軒先を借り、連載「バレエ・リュスと日本人たち」をスタートさせることにした。
第一回目(
→ここ)がアップするのは今日、2009年5月19日の午前零時きっかり。バレエ・リュスがちょうど百周年を迎えたこの日を措いてほかにない。