あれは一体いつのことだったのだろう。
もはや漠然とした記憶しかないが、たぶん1972年か73年頃だろう。作曲家の小倉朗さんに誘われて、横浜(だったように思うがこれも不確か)に住むご友人が自邸で催すというパーティにお供することになった。
どういう経緯からそうなったのか、もはや思い出の糸が途切れてしまって説明できない。おおかた授業のあと喫茶店で雑談していて、「これから友人の家まで行くけど、君たちも一緒にどうだい」と誘われて、そのまま小倉さん運転の車で同道したのではなかったか。図々しいのは全くもって若者の特権である。
そのお宅は港を見下ろす高台にあった、ような気がする。
すでに先客が数人あり、その家の女主人を含め、誰もがみな音楽家だったのだろうか。招かれざる客人である小生には状況が呑みこめなかったのだろう、誰が誰やらさっぱりわからなかった。
しばらくすると大皿に盛られたパーティ料理が出た。幾品も供されたとおぼしいが、うち一皿については鮮明な記憶がある。何やら見慣れない獣肉のステーキが切り分けられていた。馴れない手つきで取り皿に移していたら、女主人がこう声をかけてきた。「そちらのソースをかけてお召し上がれ」。
田舎者の小生はソースと聞いて、豚カツソースのような濃褐色の液体を想像したものだから戸惑った。どこにもそのような液体は見当たらなかったからだ。まごついている小生に見かねて女主人は言った。「ほら、そこの緑色の。それをタップリおかけになって」。
見ると傍らの小鉢に鮮やかな緑色をしたゼリー状のプルプルした物体が堆く盛られている。これがソースなのか!
云われるままにその緑色の煮こごり状の物体をステーキにかけ、恐る恐る口に運んでみて驚愕した。なんとそれは歯磨粉そっくりの味がした。
四十年近く経ってみれば、なんのことはない、ペパーミント・ソースをラム・ステーキにかけて食しただけの話なのだが、当時は北海道ででもなければ羊肉を食する機会は滅多になかった。まして臭みを消すための工夫なぞ田舎者の知る由もなかった。ペパーミントといえば歯磨か、せいぜいロッテのチューイングガムで知り得た味でしかなく、折角の手料理も「歯磨粉みたい」としか感じられなかったのだ。
パーティでどんな会話が交わされたのか、それも綺麗さっぱり記憶にない。女主人はどうやら永く米国マサチューセッツ州に住んでいたらしく、ボストンでの音楽生活が話題になったとおぼしい。彼女の口からふと、こんな一言が漏れたからだ。
「あちらでのムンチの人気は凄くて…」云々。
今日たまたま見つけたCDを聴いていたら、以上のような記憶の断片がひょこっと転がり出た。だからどうだ、と問われれば、なんの意味もないのだが…と口ごもるほかない。よしなしごと。
「シャルル・ミュンシュ&ボストン交響楽団初期録音・管弦楽名曲集」
モーツァルト: 「フィガロの結婚」序曲 (1951年4月25日録音)
ベルリオーズ: 「ベアトリスとベネディクト」序曲 (1949年12月20日録音)
ラロ: 「イスの王」序曲 (1950年12月27日録音)
サン=サーンス: 「黄色い姫君」序曲 (1951年1月18日録音)
ラヴェル:
スペイン狂詩曲 (1950年12月26日録音)
亡き王女のためのパヴァーヌ (1952年10月27日録音)
ラ・ヴァルス (1950年4月11日録音)
シャルル・ミュンシュ指揮
ボストン交響楽団
BMG CTB-1007 (2007 not for sale)
ボストン響常任に就任前後の最初期モノラル録音を集めた非売品CD。これでしか聴けない貴重な一枚だ。水際立った演奏。チャールズ・ムンチ、恐るべし!