聞きしに勝る秀逸な傑作だ。文字どおり打ちのめされた。
これは凄いぞという噂こそほうぼうで耳にしていたものの、大まかなプロットも人物設定も、「グラン・トリノ」が何を意味するのかすら知らず、全くの白紙状態でスクリーンに対峙した。是非ともそうありたかった。余計な先入観抜きでイーストウッドの最新作に触れる。これに勝る歓びはまたとあるまい。
クリント・イーストウッド監督作品
グラン・トリノ
2008
マルパソ・プロダクション
監督・製作/クリント・イーストウッド
脚本/ニック・シェンク
撮影/トム・スターン
作曲/カイル・イーストウッド
編曲/レニー・ニーハウス
出演/
クリント・イーストウッド、ビー・ヴァン、アーニー・ハー、クリストファー・カーリー ほか
前作『チェンジリング』とまるきり違う題材と風合いをもちながら、紛れもなくイーストウッド自身が刻印された映画。親と子、マイノリティ、老いの翳り、生と死、復讐と自己犠牲、志の継承。
冒頭の葬儀の場面で石のようにこわばった表情がいきなり大写しになり、顔と頸筋に刻まれた皺の深さが歳月の重みを否応なしに告げる。
イーストウッドはとうとうこんな地点に辿り着いた、という感慨。
いや、イーストウッドは前からずっとこうだったのだという想い。
四半世紀以上前に観た『ホンキートンク・マン』(1982)をしきりに思い出しながら観た。日本では非道い扱いをされ、きちんと公開されず、いきなり二本立の二番館にかかった。邦題は「センチメンタル・アドベンチャー」。ひょっとして、この旧作こそ本作の主題を遙かに先取りしていたのではないか。あとを継ぐ若者を育て上げた主人公が覚悟のうえで死んでいく。そこにどこからともなく流れてくるのは、しわがれた渋いイーストウッド自身の歌声なのだ。