昨日のこと突然N氏より連絡が入り、横浜の街歩きをやりたいという。
あまりに急な話だが、思い立ったら吉日、すぐに決行するのがN氏の昔からの流儀なので、誰も逆らうことができない。あれよあれよという間に「明日の午後一時半に根岸駅に集合」とのお達しがあった。昨晩、それも深夜近くになってからだ。
天気予報は午後から雨。一時過ぎ根岸に到着、駅前の珈琲屋で一服していたらN氏が現れ、「今日の参加者は三人だけ」と呟く。それはそうだろう、いきなり昨日の今日だもの、それに子供の日なので誰しも家族サーヴィスを優先するはずだ。おまけにこの空模様、今にも降り出しそう。誰だって二の足を踏む。
そうこうするうち案の定ポツポツやってきた。やがて現れたМ女史との三人で根岸駅を出発したのが午後一時四十分。どんどん本降りになっていく。予報どおりの展開だ。みるみるうちに袖も裾もぐっしょり、革靴にもじわじわ浸水してきた。嗚呼、選りに選ってなんでこんな日に街歩きをせねばならないのだ!
まずは根岸駅界隈の裏路地をうろうろ徘徊したあと、ほど近い「
根岸なつかし公園 旧柳下邸」を訪れる。大正年間に建てられた実業家の邸宅が奇蹟的に手つかずのまま残っている。今では地域NPOが管理し、無料で見学もできる。しっかりと建てられた日本家屋と、その玄関脇に洋風の応接間を設えた典型的な大正住宅、しかもその豪華版である。屈曲した渡り廊下を歩いて部屋から部屋へと経巡り歩くと、時の経つのを忘れる。
その間にも雨はしとしと降り続く。半時間ほど過ごしてここを辞去し、次の目的地まで傘を差しながら黙々と歩く。ほどなく到着したのは、とある崖下。そこに百段はあろうかという急勾配の石段がまっすぐ続く。うわあ、これを歩くのか。傍らにもうひとつ、少しなだらかな階段もあったのだが、「あちらは女坂。だからこっちの男坂を行こう」とのN氏の一言で衆議一決、この急坂を登る。
ここは「
白瀧不動尊」といい、江戸時代の昔から知られた名刹で、ラフカディオ・ハーンも訪れたことのあるお堂なのだそうだ。なるほど、その名にふさわしく、階段の左傍らには今でも滝があり、細々とではあるが水音を響かせる。
横目でその滝をチラと眺めつつ、全神経はしかし足元に集中し、しっかと石段を踏みしめる。うっかり躓いて転落でもしたらそれこそ落命しかねない。「蒲田行進曲」の階段落ちの比ではないのだ。
やっとの思いで階段を昇りきり、お堂に一礼し賽銭を投げ入れたらすぐに出発。高台をしばらく進むとまた下り坂だ。そのあとは尾根伝いの細道を進んだり、崖下の崩落危険地帯を恐る恐る歩いたり、坂や階段を昇ったり降りたりで、どこをどう歩いたのか知れないが、二時間半ほどしてようやく山下公園まで辿り着く。
(まだ書きかけ)