(承前/四月二十七日の続き)
Side-A
01. ひこうき雲
02. 曇り空
03. 恋のスーパー・パラシューター
04. 空と海の輝きに向けて
05. きっと言える
Side-B
06. ベルベット・イースター
07. 紙ヒコーキ
08. 雨の街を
09. 返事はいらない
10. そのまま
11. ひこうき雲(reprise)
こうして曲目を書き写しているだけで胸が熱くなる。なんという素晴らしいアルバムだろう。すべての曲がスタンダードたりうる名曲揃いで、しかもそれらの配列がまた完璧なのだ。ポップ・ミュージックの歴史で、ここまで粒選り(しかも大粒)の楽曲がずらりと並んだLPアルバムがいったい何枚あっただろうか。ビートルズの諸作ですら、曲の出来不出来の差は免れ得なかった。全部が名曲というのは凄いことなのだ。
ユーミンはこれらのすべてを中学・高校時代に書き上げていた、と当時そう聞かされた憶えがあるのだが、実際は少し違うようだ。彼女の自伝には、アルバム収録に取りかかる時点で、「詞も曲もできてたのが、三、四曲。曲だけできてたのが五曲ぐらいだったかな。あとは録音中につくった」とある。1972年春、晴れて多摩美術大学の日本画科に入学した彼女は夏にデビュー・シングル(全く注目されずに終わった)を出したあと、同年暮れ頃(?)やがて『ひこうき雲』となるデビュー・アルバムの制作にとりかかった。朝日新聞の記事にもあるように、このレコーディングは村井邦彦が東京・田町に創設した新スタジオ「Studio A」の杮落とし、初仕事となった。
録音ディレクター有賀恒夫氏の回想に拠れば、まず彼女のピアノと歌で三曲分のデモ・テープがつくられたのだという。「紙ヒコーキ」「雨の街を」そして「ひこうき雲」の三曲である。完成したアルバムの最後でリプリーズされ、フェイド・イン、フェイド・アウトしていく「ひこうき雲」はこの最初に録られた弾き語りヴァージョンとのことだ。「詞も曲もできていたのが、三、四曲」というユーミンの言葉を信ずるなら、この三曲と、上記の初シングルに収められた「返事はいらない」「空と海の輝きに向けて」の五曲(結局アルバムには収められなかった「マホガニーの部屋」を含めれば六曲)は、遅くとも1972年には詞・曲とも仕上がっていたことになろうか。
すでに高校二年で加橋かつみに楽曲を提供し、小坂忠のアルバム・セッションにピアニストとして参加していた彼女はささやかながらキャリアを開始していたし、ソングライターとしての才能を密かに自覚もしていたはずだが、シンガーとして自作を歌うことなど考えてもみなかったようだ。歌唱力にも容姿にもまるで自信がなかったし、ひどいあがり性でもあった。後年の旺盛なショーマンシップからするとちょっと信じられないが、それがデビュー・アルバム制作時点での彼女の実像だったとおぼしい。
(次回につづく)