体調は今ひとつなのだが、いつまでも臥せってばかりいられない。
溜まった用事を片づけるべく東京へ赴く車中で、読みさしの本を一気に読了してしまう。これは予感のとおり、否、抱いた期待を遙かに上回る刺激的な一冊だった。
伊東信宏
中東欧音楽の回路
ロマ・クレズマー・20世紀の前衛
岩波書店
2009
伊東信宏さんといえば、前著である『バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家』(中公新書、1997)が今なお忘れがたい光芒を放っている。
作曲家バルトークにとって、民謡収集はいかなる意味をもっていたか、ハンガリー民謡の「発見」を通して彼が到達した「ハンガリー的なるもの」とは何か、それは果たしてどれほどの客観性や信憑性をもちうるのか。
小さな新書版ながら、この一冊には透徹した論理と深い洞察が満ちていて、もっぱら小倉朗や柴田南雄を介してバルトークに接してきた小生などは、頁を繰るごとに次々に目から鱗が剥がれるのをまざまざと実感したものだ。
リストやブラームスが称揚した「ジプシー音楽」を「歪曲されたハンガリー」として退け、考古学者が地中に埋もれる古層から遺跡を発掘するように、「真のハンガリー音楽」たる古謡を収集・分析して、五音音階、そして八音節の旋律というハンガリー民謡のエッセンスを探り当てる。バルトークが辿ったこの道筋のなかに歴史的必然と歴史的制約を同時に見出すところに、著者の卓越した慧眼が光っていた。
あれから十年以上の歳月が流れ、伊東さんはその思考をさらにラディカルに推し進める。しかもその方向はバルトークやハンガリー民謡に留まらない。
(まだ書き出し)