今日はイースターなのだという。
前にもどこかで書いた気がするのだが、イースターは移動祝祭日であり、いつになるかは年に拠ってさまざまに異なる。なにしろ、「
春分の日のあとの最初の満月の次の日曜日」というややこしい定義づけなので、早い年は三月二十二日、遅い年は四月二十五日、という具合に日が定まらないのだ。
ほぼ同じ頃に釈迦の誕生日を祝う灌仏会(花祭)があるのは偶然だろうか。こちらは毎年四月八日と定まっているのでわかりやすい。
それはともかく何か復活祭にふさわしい楽曲でも、と思うのだが、不信心者のわが身とあっては宗教音楽のたぐいは苦手だし、だいいち常套的でつまらない。というわけで何はともあれ心静かにバッハを聴こう。
バッハ:
二台のピアノのための協奏曲 ハ長調 BWV1061*
二台のピアノのための協奏曲 ハ短調 BWV1060*
二台のピアノのための協奏曲 ハ短調 BWV1062*
ピアノ協奏曲 ヘ短調 BWV1056
ピアノ/ルータ*&ズビグネヴァス・イベルハウプタス
サウリュス・ソンデツキス指揮 リトアニア室内管弦楽団
1998、ヴィリニュス録音スタジオ
The Lithuanian Musicians Society VSCD-038 (1998)
「マタイ受難曲」のような壮絶無比な大作は生涯で何度か耳にすればそれで充分。常日頃から耳にしたいバッハはもっと心に沁みる人間的な音楽だ。ということで、まずはこの「等身大のバッハ」。鍾愛の二台チェンバロの協奏曲全曲に、親炙した「第五番」協奏曲(二楽章は "恋するガリア" )を組み合わせた選曲は万全。リトアニア勢の演奏は些か古風ですらあるが、それ故に却って人間味あるバッハを醸し出す。
バッハ:
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(全六曲) BWV1001-06
ヴァイオリン/ジェラール・プーレ
1994, 95年、リュクスイユ=レ=バン、サン=ピエール修道院聖堂
Arion ARN 168772 (1996/2003)
先日たまたま中古ショップで嘘のような廉価で手にした「無伴奏」全曲。胸のすくような美音でなんの蟠りもなく奏されるバッハは甘美で官能的なまでの艶めかしさを湛えつつ、しかも精神的な煌めきと飛翔感を失わない。ジェラール・プーレはドビュッシーのソナタの初演者ガストンを父にもち、つい最近まで東京芸大で客演教授を務めていた。間違いなく会心の名演に違いあるまい。いつか生演奏を耳にしたいものだ。
"L'arbre de vie/ The Tree of Life"
バッハ: 前奏曲とフーガ ニ長調 BWV532
高橋悠治: 水牛のように
バッハ(ブゾーニ編): いざ来ませ、異邦人の救ひ主よ(BWV659)
パトリック・ビュスイユ: Arboris I (生命の樹)
バッハ(ヴァユリネン編): イヱスよ、わが不変の喜び(BWV147)
バッハ(ヴァユリネン編): おゝ主なる神、我を憐れみ給へ(BWV721)
グバイドゥーリナ: 深き淵より
バッハ(ブゾーニ編): シャコンヌ ニ短調(BWV1004)
アコーディオン/ミカ・ヴァユリネン
2005年9月19~21日、シウンティオ、聖ペテロ聖堂
Alba ABCD 220 (2006)
締め括りはバッハと現代曲を対置した独創的なアルバム。「ゴルトベルク変奏曲」でアコーディオンによるバッハ演奏の金字塔を築いたヴァユリネン(演奏会レヴューは
→ここ)だが、ここでの彼は更にその先を目指し、同時代音楽との併存により、沈潜と拡張とを不断に繰り返すバッハのダイナミズムをまざまざと実感させる。あの小さな楽器から放射される音が全宇宙を包含するように聴こえる。震撼すべきバッハ。