春を通り越して初夏のような陽気の一日。東京への往還の車中では汗ばむほどの蒸し暑さを覚えた。
並行して読み進めていた数冊の評伝を相次いで読了したのでその感想をぜひしたためたいが、花見であちこち出歩いたせいか、ひどく疲れているのでそれは後日に回すこととしよう。
さしたる理由はないのだが、シューマンのチェロ協奏曲が無性に聴きたくなる。心の襞に沁み入るような音楽が。棚の奥に隠れていた一枚のディスクをそっと取り出す。これを聴くのは何年振りだろうか。
シューマン:
チェロ協奏曲
チェロ/ジャクリーヌ・デュ・プレ
マルティン・トゥルノフスキー指揮
ハンブルク北ドイツ放送交響楽団
録音年月日・場所不明
Madrigal: MADR 213 (1992)
氏素性の定かでない海賊盤CDであるが、これでしか聴けない演奏なのだ。
ライヴではなくスタジオ収録のようだが、中断なく一気に収録されたとおぼしく、余韻嫋々と始められる冒頭の深い息遣いがそのままずっと持続して、仄かな憧憬と憂愁に浸されたシューマネスクな世界を繰り広げる。デュ・プレといえばまずエルガーの協奏曲が引き合いに出されるけれど、たっぷりした表情のなかに楚々たる含羞を滲ませる彼女のスタイルはシューマンにこそ似つかわしいものではなかったのか。
トゥルノフスキーの指揮の見事な寄り添いぶりにうたれる。独奏の揺れ動くテンポに協調しつつ、それでいて歌心や情熱の発露にも欠けていないのだから流石だ。
彼が祖国を離れたのは1968年夏のチェコ事件がきっかけであり、このハンブルクでの放送録音(だと思う)はそれからあと、おそらく1969年か70年になされたと推測されよう。71年、デュ・プレは腕と手先の原因不明の不調(彼女からその後のキャリアと生命すら奪うことになる多発性硬化症)で休養に入ってしまうのだが、このシューマンの演奏は闊達そのもので、そうした兆候を微塵も感じさせない。
このディスクにはもうひとつ、デュ・プレが一時復帰し、病をおして倫敦で行った最後の生演奏であるエルガーの実況(1973年2月8日、ズビン・メータ指揮)も収録されているのだが、これを聴くのはあまりに辛すぎる。