あるかなきか微かな春風がそよと吹いただけで、花びらがさあっと散り注ぐ。鳥たちが枝を飛び歩くと、またしても花のシャワー。鈴木清順のフィルムも顔色を失うほどの壮麗な光景。この世ならぬ眺めだ。
雲ひとつない昼下がり、花見の締め括りにと東京郊外のとある寺に今年も来た。ここに足を運ぶようになって、かれこれ四半世紀になろうか。中央線沿線に住んでいた頃、散歩の途中でここの桜の素晴らしさを知り、それからは欠かさず毎春のように訪れている。さして広くもない境内に染井吉野が十数本。それだけの場所なのに、ここに優る観桜体験はまたとあるまいと思える。極楽浄土もかくやという美しさなのだ。近所に住む人たちにしか知られていないのだろう、訪れる人影もまばら。池に注ぐ水音のほかは物音ひとつしない。
傍らのベンチに腰掛けて一服。イヤホンで音楽を聴く。ヒンデミットのヴィオラ協奏曲「シュヴァーネンドレーアー」。春にも桜にもなんの関係もない楽曲だが構うまい。
ヒンデミット:
ヴィオラと弦楽合奏のための葬送音楽
ヴィオラ独奏のためのソナタ 第一番
古民謡によるヴィオラと小管弦楽のための協奏曲「シュヴァーネンドレーアー」
ヴィオラ/ジェラール・コーセ
テオドール・グシュルバウアー指揮
ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団
1995年6月12~14日、ストラスブール会議場
EMI France 5 55583 2 9 (1996)
この曲の邦題を聴くと誰しもギョッとする。何しろ「白鳥の肉を焼く男」だもの。
でもこれは意訳のしすぎというもので、"Der Schwanendreher" は英語に直すと "The Swan-Turner" すなわち「白鳥を回す人」なのだ。野生の鳥獣を捕獲しては食していた自給自足時代の中世ヨーロッパには、白鳥もまた貴重な栄養源だった。狩人が捕えた獲物をグリルすべく回しながら炙る。なのでスワン・ターナーなのだ。古いドイツ民謡の主題をいくつも連ねたこの曲の終楽章で奏でられる軽妙な調べが古謡「お前さんは白鳥を回す人ぢゃないのかい?」なのである。
四十年来の鍾愛の曲である。全曲を口ずさみながら、花の下で至福の二十五分間を過ごす。今年もここに来られて幸せである。
帰りの車中では少しは春らしい音楽にしようと別のCDをかける。
グラズノーフ:
バレエ音楽「四季」
演奏会用円舞曲 第一番、第二番*
交響詩「ステンカ・ラージン」**
エルネスト・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団
1966年5月、10月*、1954年6月**、ジュネーヴ
キング London KICC 8619 (1998)
これもまた鍾愛の曲と演奏というべきだろう。何しろ高校生の時分に生まれて初めて買ったLPがこのアンセルメ指揮の「四季」だったのだ。「来日記念盤」という赤い襷が掛かっていたのを四十年後の今も憶えている。
久方ぶりに耳にして、さすがにもう大傑作とは思わないけれど、懐かしさで胸が一杯になる。リムスキー=コルサコフの後継者ながらグラズノーフのこのバレエは明らかにチャイコフスキーの衣鉢を継ぐ。甘美で繊細で夢幻的。巧緻を極める管弦楽法。砂糖菓子を口一杯に頬ばったような贅沢で盛り沢山の甘やかさ。
あまたある「四季」を描写した音楽のうちで、「冬」から始まるのはこの曲ぐらいだろう。雪と氷に閉ざされた極寒の冬が過ぎて、花咲き鳥歌う季節が始まるあたりが何度聴いてもうっとりするほど感動的だ。