(承前)
いきなり電話が鳴った。プロコフィエフが子供たちのための管弦楽曲の新作について、自分の着想を検討しようというのである! 彼は私のところへやって来て、私のレーニッシュ・ピアノの前で午後いっぱい過ごした。私たちはあれからこれへと思いつくままに粗筋を考えた。私が話してきかせると、彼がそれを弾いてみる。そう、それはたしかにお伽噺ではあるけれど、年少の学童たちに楽器を紹介するためのものだ。子供たちの関心を保つには、愉しくなければ、わくわくするものでなければ始まらない。楽器の音にぴったり嵌るような配役を割り振らねばならない。例えばフルートは小鳥、というふうな。
フルートを引き合いに思わずそう口にしてみて、私はちょっときまりが悪かった。いかにも月並みに思えたからだ。でもプロコフィエフはそうは考えなかった。
「そうだね、たしかにフルートは小鳥かもね。子供たちの素朴な発想を恐れてはいけないよ、肝腎なのは共通言語を見つけることだから」
小さな子供たちのための交響的お伽噺には、互いにくっきりと対照をなすような役柄がぜひとも必要だということになった。動物たちと鳥たちと、少なくともひとりの人間という配役ではどうかと私は提案してみた。
プロコフィエフも賛成した。
「動物や鳥の役はどれかひとつの楽器に演じさせよう。でも、さまざまな面をもつ人間の役は、そうだな、弦楽四重奏にやらせたらどうか」。彼は夢中になってきた。「そうだ、まずはくっきり際立った対照から始めよう。狼と小鳥、悪と善、大と小といった具合に。登場人物の個性はそれぞれ異なった楽器の音色で表される。おのおのの役柄ごとにライトモティーフをもたせる」
やがて「ピーターと狼」として結実することになるアイディアがふたりの間に胚胎した決定的な瞬間である!
プロコフィエフが熱中しているのがわかったので、私は注意深く契約の問題を切り出した。この件をすっきりさせねばならない。
「あの、ひとつだけ──条件のほうはどういたしましょうか?」。途方もない要求金額に怯えながら、私は恐る恐る切り出した。だが、プロコフィエフの返答は簡潔で好意的なものだった。
「契約のことは心配ご無用。どうであれ、お伽噺は書きますよ。払えるだけの金額でよろしい」
これで肩の荷がおりた気がした。翌朝、契約書を持参して彼の部屋を訪れた。中央児童劇場はS. S. プロコフィエフに対し、かなりささやかな金額で交響楽の作曲を依頼することになった。彼は不平ひとつ口にせずサインした。
次の段階に進もうと、私はそれに相応しい女性詩人にお伽噺の台本を書くよう依頼した。私たちの構想をしたためた草案を渡して、然るべきテキストに仕上げてもらい、プロコフィエフの同意を得ようという手筈だった。その女性詩人はプロコフィエフの才能を高く買っていて、昼夜ぶっとおしで執筆し、仕上がったものを彼に届けた。ふたりの面談の終わりを見計らって私がホテル・ナショナルに到着すると、女性詩人はおずおずと戸口の方へと向かい、いつの間にか姿を消した。プロコフィエフはその場で、役立たずの邪魔が入ったことへの思いの一端を披瀝した。相手が怒り心頭に発したときはユーモアこそが唯一の武器だとわかっているので、私はとことん大陸的な気質性格のなんたるかについて一言もの申すことにした。
「昨日はまるで子羊のように柔和だったあなたが、今日はまるで…」
「こう言いたいんだろ、悪魔のように獰猛だ、と」。プロコフィエフはそう言い放った。
「そうは申しません。けれども、そのように見えますわ」
「もちろん僕はとことん大陸的さ。でも、僕の周りの連中だけがその害を被ってるわけぢゃないんだ」。彼は一転して穏やかで率直な口調に戻り、ふたりして笑い出した。それから私たちは女性詩人の仕事のどこがいけなかったのかを検討してみた。「彼女は韻律をたっぷり盛り込んだ」とプロコフィエフが言った。「でも、この種の作品では、言葉と音楽の関係が絶妙のバランスを保つべきだ。言葉はそれぞれの居場所をわきまえねばならず、さもないと、音楽の理解を深めるどころか、聴き手の関心をあらぬ方向に逸らしてしまう」
サーツは実名を挙げるのを控えているが、ここでやり玉にあがったこの「女性詩人」とは、モスクワ在住の作家で、モスクワ音楽院で学んだほど音楽にも造詣の深いニーナ・サコンスカヤ Nina Sakonskaya(1896-1951)である。
サコンスカヤは1920〜30年代のロシア絵本の隆盛期を担った児童文学者であり、彼女の起用はむしろ満を持しての人選といえるのだが、プロコフィエフはその仕事ぶりに全く感心しなかった。自らオペラ台本を執筆し、ひそかに短篇小説を書き下ろすほどの文才をもった彼を満足させるのは並大抵のことではなかったのだ。
(明日につづく)