昨日の陽気から一転して鬱陶しい雨模様。外は chilly cold だ。春はまたしてもお預け。こんな寒々しい日曜日はせめてガーシュウィンでも聴いて心温もるに限る。そうだ、それにしようと衆議一決。取り出したのはこの一枚。
"Gershwin Rarities: 1953/1954 Walden Sessions"
Ira & George Gershwin:
01. They All Laughed
02. Things Are Looking Up
03. Where's The Boy? Here's the Girl
04. How Long Has This Been Going On?
05. Isn't It a Pity?
06. Let's Kiss and Make Up
07. Funny Face
08. I Want to Be a War Bride
09. Aren't You Kind of Glad We Did?
10. That Certain Feeling
11. Soon
12. Sweet and Low Down
13. Shall We Dance?
14. Oh, So Nice!
15. Nice Work If You Can Get It
16. Stiff Upper Lip
17. A Foggy Day
18. 17 and 21
19. Nightie-Night!
20. Kickin' the Clouds Away
Vocals/
Kaye Ballard, Louise Carlyle, David Craig, Warren Galjour and Betty Gillert
1953 & 1954, New York City
Harbinger HCD 1603 (1998)
「ガーシュウィン秘曲集 Gershwin Rarities」と題されている割に、「みんな笑った」だの「ファニー・フェイス」だの「踊らん哉」だの「霧たつ日」だのといった著名なエヴァーグリーンが含まれているのは、このアンソロジーがもう半世紀以上前に編まれている事実から諒解されよう。つまり、その間にこれらの曲はじわじわと浸透して不滅のスタンダード・ナンバーたる地歩を確立したということなのだろう。
それでも、ガートルード・ローレンスが主演してコケたミュージカル『トレジャー・ガール』(1928)からの「男の子はどこ? 女の子はここよ」(03)と「オー、ソー・ナイス!」(14)、政治オペレッタ『ストライク・アップ・ザ・バンド』(1927/29)のために書かれた数曲(08/11/18)などは、五十年経った今でも正真正銘の「レアリティーズ」であり続ける。だからってそれらが取るに足らぬ駄曲というわけぢゃあ断じてない。そのあたりに天才ガーシュウィンの天才たる所以があるのだろう。彼は(兄も一緒にして「彼らは」というべきか)手に触れるものすべてを金に変じてしまう伝説のミダス王の係累なのである。
これらの音源はかつてウォールデン Walden というニューヨークの小さな会社から二枚のLPとして発売されていた。1950年代の初期LP期に意欲的に活動したインディペンデント・レーベルの例に洩れず、このレーベルもほどなく倒産の憂き目を見て、録音テープはいずこともなく消滅してしまった。
ウォールデンはほかにもジェローム・カーン、コール・ポーター、リチャード・ロジャーズの名曲集を同じような歌手(寡聞にして知らない人ばかりだ)を起用して録音しており、1955年録音の二枚組アルバム "The Music of Harold Arlen" ではいくつかの曲で御大ハロルド・アーレン自らがヴォーカルを担当している。かてて加えて、これらすべてのアルバムで、ジャケット装画に諷刺画家アル・ハーシュフェルドの軽妙なオリジナル・ドローイングが用いられた。昔、秋葉原の中古レコード店で上記のハロルド・アーレンの二枚組LPを初めて手に取ったとき、あまりの贅沢さに思わず震えがきたことを憶えている。
オリジナルの録音テープが失われており、本CDはいわゆる「板起こし」すなわち状態の良いLPからの覆刻なので音質的には限界があるが、演奏そのものは魅力的だ。ガーシュウィンの音楽を歪めることのない素直なヴォーカルとアレンジがたいそう好感がもてるし、なによりも選曲が凝りに凝っているのが嬉しい。LPを飾ったハーシュフェルドの装画(
→これ)も、ライナーノーツもそっくりまるごと再録されている。
ウォールデン・レコードを興し、これら一連のヴォーカル・アンソロジーを製作したのはエドワード・ジャブロンスキ Edward Jablonski なる人。後年ガーシュウィン研究家として名を成し、広闊な評伝をものした碩学だ。その彼が2004年に没していたのを今になって知った。若き日に手がけたまま埋もれていた録音がこうして生前に日の目を見たのは、ジャブロンスキ自身にとっても幸せなことだったはずだ。