やっと時間的余裕ができたので、何冊かの本を並行して読み進めている。
まずは最初に読了したこの一冊を紹介しよう。辛い暗闇の時代を生きた人の自伝なのに悲愴感や重苦しさは微塵もなく、記述には余裕とユーモアすら感じさせる。
リング・ラードナー・ジュニア
宮本高晴訳
われとともに老いよ、楽しみはこの先にあり リング・ラードナー・ジュニア自伝
清流出版
2008
リング・ラードナーといっても、加島祥造さんが訳された都会的な短篇集や滑稽な野球小説の書き手ぢゃあない。あれは「リング・ラードナー・シニア」、その息子で映画脚本家のリング・ラードナー・ジュニアが本書の書き手にして主役である。
さて、その「ジュニア」の名は、もっぱら「赤狩り」の時代に結びつけられている。第二次大戦後のハリウッドを襲ったマッカーシズムの嵐は、社会主義的な傾向をもつ映画人を公聴会に召喚し、公開の場で共産党との関わりを証言させ、仲間の名を密告する(naming names)よう強く迫った。脅迫に屈することなく証言を拒否した映画人十名、すなわち「ハリウッド・テン」は投獄され、ハリウッドでの将来を棒に振った。リング・ラードナー・ジュニアはその苦難と栄光の十人のひとりなのである。
多少なりとも同名の高名な父の七光りもあったのだろうか、LRの映画人としてのキャリアは順風満帆、セルズニックのプロダクションで腕を磨き、マルレーネ・ディートリヒやキャサリン・ヘップバーンと間近に接した。1942年にはそのヘップバーン主演の『女性No.1』の脚本でアカデミー賞(最優秀オリジナル脚本賞)を手にし、ハリウッド屈指の辣腕ライターとして名を馳せる。
そんな彼のもとに非米活動委員会からの召喚状が舞い込む。ワシントンの下院の聴聞会で「あなたは現在、共産党員ですか? あるいはかつて共産党員だったことがありますか」の質問に晒される。これに答えてしまえば次の質問「ほかに誰が党員でしたか」が待ち構えているし、返答を拒めば議会侮辱罪に問われ逮捕される。密告者になって生き延びるか、甘んじて訴追・投獄の道を選ぶか。
このあたりの経緯はすでに以下のニ書であらかた語り尽くされている。
陸井三郎
ハリウッドとマッカーシズム
筑摩書房
1990
(文庫版は現代教養文庫、1996)
上島 春彦
レッドパージ・ハリウッド 赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝
作品社
2006
*本書についての拙レヴューは
→ここ(ならず者の時代)と
→ここ(タフでなければ生きられない)。
とはいえ、当事者たちによる著述としては、裏切者の屈折した言い訳に満ち満ちたエリア・カザンの自伝と、粉飾と思い違いに満ち満ちたリリアン・ヘルマンの回想くらいしか読めなかったので、「ハリウッド・テン最後の生き残り」たるRL自らによる臨場感たっぷりの記述にはかけがえのない価値がある。
刑期を終えて出獄したRLを待ち構えていたのは、ハリウッド首脳部による「ブラックリスト」作製と徹底した忌避であった。しかしながら、このあたりの本書の記述は意外なほど淡々として、悲痛でもなければ恨みがましくもない。むしろ印象的なのは、そうした包囲網を掻い潜って、変名を用いながらTVや映画の脚本を手がけて生き延びるタフでしたたかなプロフェッショナルとしての相貌である。
苦節二十年。そんなRLに願ってもないチャンスが巡ってくる。朝鮮戦争時の野戦病院医療班のハチャメチャな人間模様を描いた小説の脚本化の仕事が舞い込んだのである。TV畑出身の監督はまだ無名同然だったのだが、驚いたことにこの映画はカンヌ映画祭の金棕櫚賞、そしてアカデミー脚本賞に輝くのである!
ここに到って、無知な映画ファンたる小生は大きく頷き、そして深々と頭を垂れる。そうだったのか!と。
そうなのだ、この映画『M★A★S★H』(1970)こそは、RLことリング・ラードナー・ジュニアが自らの映画人生の甦りを賭けた起死回生の一発、逆転満塁ホームランだったのである。
本訳書の副題「われとともに老いよ、楽しみはこの先にあり」とはロバート・ブラウニングの詩の一節からとられた由。ズバリこう言い切ることができたように、RLの長い老後は平穏と幸福に溢れていた。その彼が生涯最後の仕事とし、八十五歳で亡くなる直前に上梓されたのがこの自叙伝である。
因みに原著のタイトルは "I'd Hate Myself in the Morning" という。これは聴聞会で共産党員か否か返答を迫られたRLが切り返した「(その質問に答えてしまったら)これから朝起きるたびに自分が嫌になるだろう」という有名な一言に拠っている。これぞ名脚本家が命を賭けた一世一代の名台詞というべきだろう。
最後になったが、本書の邦訳はRLのユーモア感覚を巧みに掬い上げた達意の日本語である。訳者・宮本高晴の名を忘れないでおこう。