夜半からの冷たい雨が降り止まない。
黒づくめの恰好に着替へて、昼過ぎから母方の伯父の告別式に参列。密葬と云ふことなので内輪だけでさゝやかに送る。殆ど九十歳近い大往生ではあるものゝ、年長の血縁を喪つた沈痛な思ひに変はりはない。我が心にも涙降る。
とは云へ気鬱して許りもゐられないので、鞄の中から文庫本を取り出して読む。
内田百閒
一病息災
中公文庫
2003
今の今迄こんな文庫本が出てゐるのに迂闊にも気づかずにゐた。中公文庫の百閒ものと云へば、狂ほしい程の愛猫随筆『ノラや』、焼跡グルメ本『御馳走帖』、空襲下日記抄『東京焼盡』の三冊がいづれも甲乙つけがたく、ごく最近になつて青年時代の『恋文』と『恋日記』とが陣容に加はつたと承知してゐたのだが、この一冊に就ては存在をまるきり知らなかつた。
標題にもある通り、自らの病歴や持病のこと、健康と養生のこと、或は禿か白髪かと云ふやうな身体に拘つた随筆許りを集めた異色のアンソロジー。文庫用に新たに編まれた編纂本なのだが、巻末に吉行淳之介の「百閒の喘息」なるぴつたりの解説が再録されてゐるのが難有い。
動悸や不整脈、喘息に蕁麻疹と云つた具合に病気の話がてんこ盛りであるにも拘らず、流石に百閒の筆は些かも深刻ぶらず軽妙にして飄然。まるで他人事のやうにさらりと綴つてゐて甚だ秀逸である。
養生と云ふ事はいつも念頭に置いてゐる。さうして人並でない不養生をするから、気分の上で面白くない。不養生と云つても多くは口腹の慾である。それに就いて面倒な事を考へるよりも何も食べないのが一番簡単であるかも知れない。さう思つてゐても結局何か知ら食べてゐるのであるから、そんな事を考へる為の弊害は少い。それで方針としては何も食べない。もう食べる歳ではないと云ふ事にする。
かう云ふ解つたやうな解らないやうな屁理屈を如何にも尤もらしく語らせて、百鬼園先生に勝る書き手は二人とゐまい。
ぐつたりと疲れて葬儀から帰宅すると、米国デラウヱア州からずつしり重たい荷物が届いてゐた(葡萄ぢやないよ)。家人からじろりと睨まれる。
この小包の正体に就ては後日また稿を改めて書くことにしやう。