野暮用で終日ずっと外出していて夜遅く帰宅すると、妹からの電話で母方の伯父の急逝を知らされた。享年八十九。風邪をこじらせて入院中に容体が悪化したのだというが、最後まで矍鑠とし意識も鮮明だったそうだ。まさしく大往生といえるだろう。
母の実家は大森で佃煮屋を営んでいた。小売店ではなく、小規模ながら佃煮工場である。幼い頃、母に連れられて遊びに行くと、玄関の戸を開ける前から甘い匂いがぷ~んと漂ってきた。泊まった翌朝に目覚めると、別棟の工場からは湯気がもうもうと立ちこめ、水飴をぐつぐつ煮る泡の音と甘ったるい蒸気が漂っていた。
当時は明治生まれの祖父がまだ健在で、長男である伯父はその片腕として働いていた。頑固で癇癪持ちの祖父の下では苦労が絶えなかったと察しられ、子供の目からも「気弱でちょっと頼りない伯父さんだなあ」と見えた。
祖父の死後はそのまま家業を引き継いだが、高度成長期に日本人の味覚が激変したのに伴い、徐々に佃煮製造から手を引き、おひたしや煮物、玉子焼といった和風惣菜の製造へと舵を切り、それが功を奏したのか、あちこちの百貨店地下にも出店していた。なかなかの経営手腕だったのだろう。
小生は二十代からずっと親戚づきあいを絶っていたので、その後の伯父とは四十年近く会う機会がなかったが、三年前に父が歿したとき葬儀の場で久しぶりに再会した。八十代半ば過ぎでさすがに足元は危なっかしかったが、頭も声色も明瞭そのもの、まだまだ意気軒昂そうにみえた。いかにも頑固親爺然とした風貌が、大昔の祖父(つまり伯父の父)とそっくりなのに驚かされた。少し呆け気味の母はすっかり勘違いして、「お葬式には大森の父がわざわざやって来て、私の真正面に坐るものだから、恐くて嫌だった」と真顔で云ったものである。
今夜は故人を偲んで何かしめやかな音楽を聴くことにしよう。