昨日は映画館を出て渋谷の露西亜料理屋「ロゴスキー」でランチを食したあと、公園通り経由で代々木公園をしばらく散策。明治神宮を横目で見ながらそのまま表参道を進み、同潤会アパート跡あたりで左折し、豚カツの「まい泉」を通り過ぎてキラー通りへと抜けた。外苑前から地下鉄で京橋まで出て、フィルムセンターの展示をちょこっと覗く。好天に恵まれたとはいえ、寒いなかをずいぶん歩いたものだ。その間、頭のなかでは「シェルブール」やら「 ロシュフォール」やらの旋律のきれぎれが鳴り続けていた。
フィルムセンターを出ると、いつの間にか夕暮が近い。家路に就こうと馬場先通りをとぼとぼ歩いていて、吃驚するような光景に出くわした。うまい具合にネット上にぴったりな画像があったので、まずはそれをご覧いただこう(
→これ、
→これ)。
おお、これが噂の三菱一号館か。復元工事がずっと続いていて、先日まですっぽり被いに包まれていたのだが、ついに白日の下にその全貌を顕したのだ。
オリジナルの建物は1894年竣工。鹿鳴館(現存せず)やニコライ堂(震災で一部損壊)、湯島の岩崎邸、駒込の古河邸などと並ぶジョサイア・コンドル(コンダー)の代表作として、震災にも戦災にも生き長らえてきたが、高度成長期の1968年に解体されてしまった。丹下健三設計の旧・都庁庁舎の斜め前に建っていたはずの格調高い明治の煉瓦造であるが、さすがに小生も取り壊す以前の現物を観た憶えがない。
ただし、そのカラー写真だけは建築史の書物で何度となく目にしており(
→これ)、そのたびごとに「これを壊すとは、なんという勿体ないことをしたのだろう」と溜息をついたものだ。
今回の復元作業は、建設当時の図面のほか、いくつもの写真や解体時の記録、さらには部分的に保存されていた部材などから、あらゆる細部を割り出して、当初の建物に可能な限り肉薄する手法が採られる。外観のみならず、複雑な屋根廻りや内部の隔壁の配置、室内の装飾、窓枠や階段の細部まで忠実に再現されるのだという。再建位置も往時の建物と寸分違わないのだそうだ。
施工主の三菱地所はここ丸の内一帯の再開発プロジェクトを手掛けており、その過程で東京駅前の丸ビルや新丸ビルを取り壊した張本人でもある。その一方で四十年前に潰してしまった歴史的建造物をわざわざ復元するというのはなんだかマッチ・ポンプ方式というか、まるきり方針が矛盾しているようだが、まあ一種の罪滅ぼしか免罪符のようなものかもしれない。
で、この建物を復元してどう利用するのかというと…これがなんと美術館なのですね。その名も三菱一号館美術館といい、来春の開館を予定しているのだという。収蔵作品はロートレックのポスター類、開館記念展はマネ展なのだそうな。
ようやく覆いがとれた真新しい煉瓦造の様式建築を一瞥しての感想は「キッチュ」。凄く手の込んだ紛いものとの印象を拭うことができない。
喩えていうなら薬師寺の西塔か。いやむしろ、東京ディズニーランドのシンデレラ城に近いといったら怒られるだろうか。真面目に復元作業に取り組んだ方々には申し訳ないが、なんだか嘘臭くて思わず笑ってしまったのだ。