昨日とはうって変わって春先のような陽気。しかも久し振りに時間がたっぷりある。
まずは電車を乗り継いで錦糸町へ。朝の十時半からトリフォニーホールで新日本フィルの公開リハーサルがあるというのでいそいそ出かけてみた。指揮はオランダの偉才フランス・ブリュッヘン。歿後二百年のハイドン・イヤーの口火を切って、オラトリオ『天地創造』と「ザロモン・セット」交響曲全十二作を振りに来日中なのだ。
会場は全席自由席とのことなので、前方中央少し右寄りに陣取る。
定刻に下手から腰の曲がった痩身の老人がとぼとぼと登場。1973年の初来日時の天才青年笛吹き時代の印象が未だに強烈な小生にとって、足元の覚束ないこの老いぼれ爺さんがブリュッヘンだとは俄かに信じられない気持ちだ。
採り上げる曲目は、休憩をはさんで(明日の三交響曲のうち)九十六番と九十三番の二曲。もうすでに下準備は済ませてあるらしく、テンポやバランスの調整は概ね固まっていて、時折アーティキュレーションの指示があるほかはさしたる中断もなく、楽章ごとにほぼ通しで奏される。ほとんど演奏会と同様の体験をたっぷり二時間、無料で味わえたのだからありがたい。参集者は百人いたかどうか。
まあ、これは本番演奏でないので、あまり断定的なことは書くべきではなかろうが、ブリュッヘンはここ十数年で著しく変わった。容貌外観の変化さながらに、CDで聴き馴れた「18世紀管弦楽団」とのハイドンとはまるで別種の音楽だ。ふうわりと密やかに漂い出す弦の弱音が美しくも透徹した佇まいを現出させ、強靭苛烈でときに武骨なまでのシュトゥルム・ウント・ドラングの表出は今やすっかり影を潜めた。このドラスティックな演奏様式の変貌の意味するところは一体なんなのか。
新日本フィルの弦楽はブリュッヘンの要求に応えて、いかにもそれらしく古楽のニュアンスを醸成するのだが、リハーサルの故だからか、アンサンブルの完成度はかなり緩い。オーボエのソロの巧さが印象に残ったが、明日の本番はどうだろうか。
今日は暖かく晴れた日。そこで午後は秋葉原から地下鉄で下谷に出る。
初夏の朝顔市の季節以外にこの街に降り立ったのはこれがたぶん初めてだ。右も左もわからぬまま、なんの変哲もない街並を当てずっぽうに歩く。この界隈はたしか吉原遊郭跡にもほど近いはずだが…と思ったら交叉点でいきなり「吉原大門(おおもん)」の交通標識に出くわす。
さらに道沿いに少し歩くと竜泉(りゅうせん)という街域に出た。程近いところにあるという「台東区立 一葉記念館」にちょっと寄ってみる。
小ぢんまりした展示ながら、清楚な美人だったことを証す何枚もの写真や、直筆の原稿・短冊(多くは複製だが)にしばし目を奪われる。達筆過ぎて片言隻句すら読めないのが我ながら情けない限り…。今日はこの常設展示に加え、「樋口一葉と明治のファッション」という特別展が興味津々。貧乏な一葉には上等な着物が買えず、そのことを恥じていたそうだが、どうしてどうして、地味な和服がよく似合う人だったようだ。遺品の渋い黄八丈の現物が間近に拝めたのは得がたい眼福だった。
だいぶ陽が傾いてきた。そろそろ空腹が兆してきたので、昨日読んだ森まゆみさんの本を鞄から取り出して、日本堤通り沿いの天麩羅屋「土手の伊勢屋」の場所を確認。記念館からも指呼の距離にあり、そぞろ歩くとほんの数分で到着。四時四十分をちょっと回った時分だ。貼り紙に夜の部は五時からとあるので、しばし店の外で待つとしようか。煙草に火を点けかけると引き戸が開いて、親切な店員さんが「いいですよ、お入りなさい」と声をかけてくれた。
昭和初年(1927)建造の木造建築はさすがに古びて立派。内部の部材はどこもかしこも黒光りしている。メニューを見るまでもなく、迷わずに「天丼のハ」を注文。すなわち特上大盛りだ。